サッカーの本質を考え続ける中で、私にとって学びが多かった記事を5つ厳選してお届けしたいと思います。
今回は第2回。
①僕は怖い。皆の助けが必要だ。終わりを告げる準備ができていないんだ
「なあみんな、僕が小さなころに好きだったオモチャは何だったか知ってるかい? それはサッカーさ!
そして、それは今もそうなんだ。 だが、誰もがある時点で成長しなければならない。そう言われて、僕は決断を下した。
クソッタレだな、時間ってのは!(スクデットを獲得した)2001年の6月17日と同じだ。 あの時、僕はレフェリーが早く3回笛を鳴らしてくれないかと待ちきれなかった。
そして、それは今でも鳥肌が立つ記憶だよ。 そして今、時間がやってきた。僕の肩を軽く叩いた。そして、『成長しなければいけないよ』と声をかけてきた。
明日から大人になるんだ、とね。 『さあ、パンツとスパイクを脱げ。君は大人になった。もはや芝の匂いを嗅ぐことはできない。
太陽に顔を晒すことはできない。アドレナリンを使い尽くすことも、祝福の満足感もないんだ』と。
僕はこの数カ月間、自分自身に尋ねてきた。なぜ夢から覚めているのかと。 眠っている子供は、母に起こされるまで素晴らしい夢を見ているものだ。 もう一度眠りにつこうとしても、同じ夢の中に戻れることは決してない。 魔法は、いつか解けるものなんだ。
②「子供の部分も残しておくべきだ」
逆説的な話だが、生真面目でナイーブすぎるサッカー選手は多くの場合、生き抜くことができない。「子供の部分も残しておくべきだ」
スペイン、ポルトガル、イタリア、あるいは南米のクラブ育成関係者は、大人と子供の部分の折り合いに目を向ける。
選手がどれだけ子供っぽいか、という実験を、フランスのローラン・ブラン監督がしたことがあった。ある日、時刻をきっかりと決め、滑り込むようにぎりぎりに来る選手、10分前に余裕を持ってくる選手、何か起きても対処できる30分以上前に来る選手、そして遅刻する選手と配分を調べたことがあった。
一般社会では、10分前が一番多いだろうか。しかし、8割方の選手が、ぎりぎりの時間に着いたという(もしくは数秒遅れだった)。「選手は日々、意識的にせよ、無意識的にせよ、ぎりぎりに照準を合わせて挑む、というゲーム感覚で生きているところがある」それが調査の結論だった。彼らはぎりぎりを楽しめる。もしくはそれを楽しめるような人間がプロになっているのだ。
③お前に金を払っているのは、パスに対してじゃない。
「お前にお金を払っているのは、パスに対してじゃない。10回勝負して9回取られても、残りの1回でゴールにつなげてくれれば、それでいい」――ファンデ・ラモス監督が安永聡太郎にかけた言葉
「アタッキングゾーンに入ってからのパスは本当に怒られたし、2~3度続けたら猛烈なブーイングが来ました。レフェリーも攻撃側が数的不利で仕掛けた場合、もう少しで抜きかかれば足がかかっていなくてもファウルを取ってくれた。スペインは本当に前線の選手には、とことん勝負を奨励してくる国でした」
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④成長を加速させる保護者の関わり方
どんな困難な状況でも、自ら主体的に『want(〜したい)』に持っていける子どもを育てるためには、どんなサポートが必要なのか?子どもたちは日頃から、オンザピッチでは指導者の要求に対して、彼らなりに悩み、迷いながら良いプレーを目指しています。
そこで、家に帰った時に彼らに対してどのような接し方をしていくのかは、子どものモチベーションはもちろん、彼らの人格を作る上で非常に重要なことです。
オフザピッチも含めて、全ての環境で完璧を求められることほど彼らを苦しめることはありませんし、彼らの行動を否定したり詰問で追い詰めてしまっていては、プレッシャーで押し潰されて逆効果になりかねません。だからと言って興味や関心を示さないことも、決して良いサポートとは言えないと思います。
では、保護者は、どのように接してあげるべきなのか?
⑤探求することなしに道はひらけない
「サッカーでプロになることはできないけれど、ひたすらシュート練習をすれば、シュートだけなら世界一になれるかもしれない」とバカげたことを思って、大学1,2年のとき、ノートをつけたりビデオに撮りながら、無回転シュートについて研究していた時期があった。本田圭佑がW杯で無回転FKを決める2年前の話だ…
サッカーの本質を追求する旅はつづく…