日本の指導者の多くが子どもたちにカタチを教えようとする
これは賛否両論ある話で私の考えが正しくもなく、カタチを教えることも時に有効なことがあるのもわかっている。しかし、あくまで私の感覚でお話させていただきたい。
先日、あるサッカー関係者の方に以下の話をしたところ、思わぬ返答があり私が感じたことを共有したい。
敵がいる中でのトレーニングか敵がいない中でのトレーニングかで変わる。敵に囲まれた時にダメなのか平気なのか。敵がいる時に自分の技術を出せる選手にするのが出発点。
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そのサッカー関係者の方は、こう言いました。
「敵に囲まれた時にダメなのか平気なのかではなく、敵に囲まれるような状況を作らない能力の方が僕は大切だと思います。出発点は敵に囲まれるような状況を作らない方法知っているかどうかという所からで、それでも囲まれる状況ができてしまって初めて技術で解決するべきだと思います。」
この考え方に関して、私が感じたことを書いてみたいと思います。
敵に囲まれても大丈夫にすることが出発点
敵に囲まれるような状況でプレーすることはとても難しいことです。
しかし、敵に囲まれそうになることはダメなことだと考えてしまうこともダメだと私は思います。敵に囲まれても大丈夫な選手が試合を動かし、状況を打開するのです。
つまり、敵に囲まれないような状況を作らないことを出発点にすることではなく、敵に囲まれても大丈夫にすることが出発点なのだと私は考えてます。
前者は教えることによって容易にできても、後者は教えることは困難です。
育成年代のサッカーであればなおさら大切なことだと思います。
敵に囲まれないような状況を作らないことが一般常識であるならば、サッカーは非常識にならなければ上手くならない。
メッシやネイマール、イニエスタ、イスコはとてつもなく非常識な選手だ。
プレッシャーから逃れる術など教えるからダメになる
とりわけ私が危惧しているのは育成年代の指導者がこの常識であるプレシャーから逃れる術を熱心に教える風潮だ。子どもたちはプレーしたい、プレーを想像したい、クリエイトしたいものです。そんな子どもたちを強制し矯正する大人を目にする度に頭が痛くなる。プレッシャーから逃れる術を教えることは多くの場合、可能性を奪っている。
「敵に囲まれたらボール奪われちゃうから、敵が来る前に味方に素早くパスしよう。」
そうではなく、
「敵に囲まれたらチャンスだ。なぜならここを抜いたら相手は少なくなる。ゴールは目の前だ。」
大人の常識などまったく通用しない世界
世界のトップレベルの試合を観ていると、大人の常識などまったく通用しないことがわかる。マークをしていれば大丈夫、ディフェンスにちゃんと戻っていれば大丈夫。そんなことはまったくない。常識など通用しないと思った方が良さそうだ。
相手を良く知り、自分たちを良く知ること、その上でピッチでは死闘が繰り広げられている。
話を戻すと、敵に囲まれている状況でもやれるようになってはじめて敵に囲まれるような状況を作らない方法知っているかどうかが大事になってくるのだと思います。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…