みなさま2017年もご愛読ありがとうございました。
今年もこのブログを通じてたくさんの方と実際にお会いすることができました。
2017年、Twitterではそのときどきに感じたことを備忘録というカタチでつぶやいていて、あとあとブログ記事のネタにすることが多いです。
今年どんなことがあって自分が何を感じたのかを反芻しながら一年のつぶやきを振り返ってみました。
外国人リーグで感じたこと
外国人リーグで対戦する日本人の多くが、試合中にバチバチぶつかる度に文句を垂れまくって、ピーピーアピールしまくり、球際から逃げまくる。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) February 18, 2017
当然、試合後の握手もまともにできない。サッカー民度の低さよ。
昨日、外国人リーグで南米のチームで試合に出て日本人のチームと試合をしたんだけど、激しい球際と駆け引きが全部反則に感じるらしく、試合中ずっとファールを要求し、差別的発言のオンパレード。こんなサッカーのサの字も知らない人が大半なんだよね。残念で仕方ない。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) November 26, 2017
日本のサッカーは独特ですよ。日本以外の世界を認めない、受け入れられないというのは致命的だと思う。一人ひとりの世界観が貧しすぎる。そう感じてしまうよね。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) November 26, 2017
因みに試合中に感情的になって文句を言ってくることは普通のことなんだけど、発する言葉がとにかく酷かったなぁ。自分が審判なら何人か退場にしてるレベル。日本人として仲間に申し訳なかった。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) November 26, 2017
錦織圭選手の記事で共感!
自分のすべてをかけて戦かってるからこそ、感情がでる。これはやっちゃダメとか言ってる人はそこまでやっていないんじゃないか? / 錦織圭、試合に敗れてラケット破壊 観客からは容赦ないブーイング (画像) (...https://t.co/6z3f4L1TuY #NewsPicks
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) February 22, 2017
近所の中学生の試合を観ていて感じたこと
上手いだけで闘争心に欠けるチームよりも、下手だけど闘争心みなぎるチームの方が魅力があるものです。本物の技術というのは情熱という源泉から生まれる。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) February 23, 2017
サッカーの遊び方を教える最も有効な方法は、サッカーの本質を知る大人が一緒に遊ぶことだ。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) February 26, 2017
大人がサッカーの遊び方を知らなきゃ、サッカーの本質など伝わるわけがない。遊び場を作らなきゃいけない。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) February 26, 2017
日本って比較的クソ恵まれていて、本気でやればそれなりに稼げる余地、チャンスがあるんだよね。中南米を旅していた時、物乞いとしてその日を生きる人たちをみて、その人たちにどれだけチャンスがあるのかを想像した時に、圧倒的に恵まれている自分を自覚した。やるかやらないかだけ。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) March 10, 2017
コパ・プーマ・トレーロス2017の取材で感じたこと
アトレティコのコーチたちを見て感じたこと、パルメイラスの10番を見て気づいたこと… 近日公開予定です!
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) April 3, 2017
コパ・プーマ・トレーロス2017 レポート近日公開予定 - 大人になってから学ぶサッカーの本質とは https://t.co/tFrcpUFdj8
指導者が上手い選手を育てることはできる。でも、本当に上手い選手は環境が育てる。これを分かってない人が多い。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) April 21, 2017
世界水準でなければならないとか、スペインやドイツではこうだからこうするべきだという話はどうでもよい。世界が正で日本がダメなのではなくて、サッカーの魅力はそもそもなんなのかということをもっとセロベースで考えたほうが良い。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) April 22, 2017
5月に行われた東京国際ユース大会を取材して感じたこと
美しく勝利することよりも
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) May 4, 2017
どんなカタチであれ、勝利をもぎ取ることが重要だ。自分のすべてを出し切って、命を削ってでも勝利する。その気持ちの強さが土台にあるから本物のスキルが身につく。ボカジュニアーズをみてると毎年思うこと。
とても感情的で、理不尽で常軌を逸した要求が多いのだけれど愛情に溢れ、常に本質を捉えることができる指導者が好きだ。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) May 6, 2017
人間の本質、サッカーの本質を見ようとする人が求められている。
完璧な人間などいない。人間だれしも失敗する。でも世間は失敗に対してあまりにも不寛容過ぎる。過剰な反応をし過ぎていると感じることが多い。あれもこれもこうあるべきだと正しさを押しつける。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) April 29, 2017
自分の人生を自分で決めてきた人とそうでない人の差はあまりにも大きい
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) May 1, 2017
良い子を育てること
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) May 6, 2017
うまい子を育てること
そんなことよりも、より自然体で生きられる子を育てることに興味がある。自分を解放することができる子。人の想い、自分の心に素直に忠実な子。
奥山団長取材の時
本当に上手い奴が減ったよね。味のある奴が本当に少なくなった。駆け引きより、体力とかよね。奇抜なやつ、面白いやつ少ない。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) May 14, 2017
そのようなことを奥山さん言ってたな。
とあるジュニアユースの大会を観戦時に感じたこと
センターバックはボールを持ったら、まず一番ゴールに近いFWを見ろ。そこに通せればチャンスになる。ちょっとバルサ志向の少年サッカーチームになるとそんな大事なことは一切教えない。まずは一番近いボランチかサイドバックへ… ピケやマスチェは常にスアレスの裏狙うぜ。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) May 21, 2017
そもそも必要なのは教育じゃないんじゃないか。自立させる環境、自立して生きていく術をしっかり伝えること。あっ、それが教育か。じゃあ今オジさん達が言ってる教育ってズレてんじゃないっすかね。シャツ入れて試合することが教育って意味がわからなすぎる。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) May 21, 2017
子供に社会のルールを必死に教え込もうとする頭の硬い大人が多すぎるがために、子供たちの表現が奪われているケースが多い。社会のルールは時代とともに変わる。頭の柔らかい人間がルールをどんどん作り変えているということを理解できない大人がルールを守らせようと躍起になるのだろう
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) May 22, 2017
マネジメントの本を読んでいる時にふと感じたこと
サッカーの本質はサッカー以外から学べることが圧倒的に多い。サッカーにとらわれてはいけないという観点からもこれは本当に有効です
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) May 26, 2017
サッカーの文化は作るものではなく、いつの間にか作られるもの。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) May 24, 2017
作ろうとすればするほど、カチコチになり、面白味がなくなり、センスある表現者は遠ざかる。気がする。
奇跡のレッスンを観て感じたこと
奇跡のレッスン
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) May 26, 2017
必見です。
イタリア人のアーティストが日本の子達をみて、人と違っても良いのだという刺激が必要だと説き、子どもたちひとりひとりに触れてピュアな感性を感じて、それぞれの魅力を引き出す様はまさにサッカーを指導する人にはとても大切な感覚。
筆の使い方にルールはない。自由な発想であらゆる使い方をしながら描いていく、どれだけ独自の感性で楽しくて面白いものをつくるか。それこそがアートであると。これそのままサッカーに当てはまる。これがまさに本質。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) May 26, 2017
大事なのは自分いがいの表現をしっかり見つめさせること。そしてはじめて個性というものの価値が認識できる。そんな個性がひとつのものを作っていくことがチームアートであり、それまさにサッカーも同じ。つまりサッカーはアートであるということ。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) May 26, 2017
物事をどういうふうに見ているかというところが肝だと思う。誰もが納得する見方ができるというのはもはや価値がないと思う。独自の視点で捉えたものがどれだけ本質的でセンスがあるかが価値になるのだと思うよ。本当に。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) May 26, 2017
社会に求められていること、市場に求められていることを表面的に学び続けてしまうと、それはもう面白味のないアウトプットにしかならない。だからこそ人と違う視点で考えること、人と違う切り口を考え続けることが重要なのだと思います。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) May 26, 2017
大人が止まれば、子供は進む
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) June 4, 2017
By 奇跡のレッスン
バルセロナ取材で感じたこと
バルセロナの育成年代のサッカー大会の取材をして感じたことは、サッカーをしっかりと教えているということと、テクニックという概念が日本とは違うということ。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) July 4, 2017
スペインではサッカーは教えなきゃいけないという価値観がしっかりとあって、教え方、コーチングが上手い。日本のように子供をコントローラーで操作するような声はない。しっかりとオーガナイズされたチームが多かった。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) July 4, 2017
子供たちにサッカーを教えちゃいけないなんて考えてしまうような日本の育成年代の現実は誠に不健全なのだよなぁ。サッカーをちゃんと教えられる指導者が増えていかないといけないなと思いました。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) July 2, 2017
オランダの名門、PSVのU10とカタルーニャのローカルクラブの試合は面白かった。PSVの強さ、巧さを、個人戦術とグループ戦術で上手く殺し、互角の戦いを繰り広げられるサッカー脳の高さには脱帽した。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) July 4, 2017
エスパニョールのU13女子チームの監督にインタビューして、驚いたのがこの年代で一番重要なのは、テクニック。テクニックとはドリブルではなく試合に勝つ為にグループでボールをコントロールする為のものだ。コントロールしてパスすること。その為のポジション取、サッカーをオーガナイズすること。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) July 4, 2017
サッカーはチームでするもの。個人の能力とはその中で威力を発揮することができなければならない。だからドリブルがいくら上手くてもチームの中でサッカーが出来なければ、それはテクニックにはならない。つまり、いつ、どのタイミングでドリブルが生きるのかという判断が出来なければ意味がない。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) July 4, 2017
スペインでは主体性を育むために…という感覚があまりないように感じた。それがなければプレーできないことは当然のことと一蹴され、いかにサッカーを発展させていくかというところを常に考えている。日本のサッカー環境、育成年代はまだそのステージではないのかもしれない。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) July 6, 2017
アルゼンチンでプレーする若き才能へインタビューした時のつぶやき
試合に負けて罰走して、サッカーが改善されると本気で思ってる大人がいなくならないと日本サッカーは強くならないと思います。って16歳のアルゼンチンでプレーする若者が言ってました。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) November 28, 2017
その他のつぶやきまとめ
やらされて表面的に強いチームと、本当に強いチームの違いは、主体的にオーガナイズできているか否かということ。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) July 9, 2017
これはサッカーだけにとどまらず、会社組織にも当てはまる。ここを突き詰めてひとつ記事を作りたいと思う。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) July 9, 2017
サッカー文化をいかに育むか考えている時のつぶやき
サッカーの指導者は学び続けなければならないが、学び過ぎてもいけないと思う。学びは自分自身の答えを出す過程で大切なことであり、学んだことをただそのまま運用し続けることはナンセンスだと思う。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) July 11, 2017
自分が感じる違和感を明確にし、学びたいことを明確にし、学び、それを自分でしっかりと考えて腹に落として応用しながらアウトプットすることなしに学びは生きない。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) July 11, 2017
南米は勝つ為にどうするかを考える。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) July 17, 2017
日本は巧くなる為にどうするかを考える。
サッカーはね。
巧さ、よりも勝利が求められる。
日本は巧い選手は沢山いるけれど、勝つ為に最善を尽くせる選手は少ないのかもしれない。
日本は愛のあるパスばかり要求するから受け手のスキルが上がらない。海外では信じられないほど暴力的なパスがくる。それを普通にトラップ出来なければ、もうその時点で見下される。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) July 27, 2017
出し手のレベルよりも受け手のレベルを高めるよう仕向けないと世界は近づかない。
スペイン人は判断が早いと言われるけど、頭の回転が早いのではなく、単純にピッチでの経験の差。あらゆるシチュエーションの対応に頭も身体も慣れているだけ。日本とはサッカーの考え方が違う。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) July 27, 2017
やってるサッカーそのものが違う。
でも、スペインが正解で日本が不正解と安易に考えてはいけない。
みんなサッカーを上手くさせたいと考えて一生懸命になるけれども、サッカーを上手くさせたいと思ったら、まず好きにさせることが何よりも大切。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) July 31, 2017
夢中になるとか、好きになるとか、そういうことが10歳くらいに絶対ある。それを忘れさせないようにすること。心にどうやって火を灯すかが大切。
国民性がサッカーのプレーに反映されるのだとしたら、選手の魅力を引き出すことで自ずと日本独自のプレースタイルが見えてくるのではないか。ブラジルやアルゼンチン、ドイツやスペインなんかも国民性がプレーに反映されているのだとしたら、日本はどんなサッカーになるのか。あまり良いイメージが…
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) September 24, 2017
たとえ日本がワールドカップで優勝することがあっても、日本でサッカーする人たちが心からサッカーを楽しむ事が出来なければ、僕は虚しいと感じる。世界一強いことよりも、世界一サッカーを楽しめる方が僕は大事だと思う。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) October 19, 2017
サッカーを通じて学んだことは社会に出て生きている。それと同時に、社会に出て学んだことは自分のサッカー観も育んでいる。だからこそ本質というテーマにしたんだろうな。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) October 19, 2017
自分を深く掘り下げて、それを発信することは誰かに影響を与えることがある。それはきっと人間の本質的な、根源的な部分で共有できるものであるからだと思う。誰かの為という感覚が偽善に感じるのも、まず自分を掘り下げる行為をないがしろにしている印象を受けるからなんだと思う。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) October 19, 2017
自分の弱さを知ることができないと、人の弱さを知ることができない。そこから強くあろうともがいた経験がないと、人に伝えることができない。苦しみも、悲しみも、喜びも、行動の先にあるもの。心の衝動の先の行動が大切なんだと思う。論理的な行動よりも圧倒的に大事。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) October 19, 2017
人の心を動かす魅力のある人は例外なく想いに寄り添える人だ。想いに寄り添うということは心の衝動の先にある行動を経験した人なのだと思う。本当に優れた人は論理的な行動よりも直感的な行動の重要性を理解している。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) October 19, 2017
ただ根性サッカーやらせる大人に対して、こんなのサッカーじゃないって子どもが言えるくらいには早くサッカー文化を育みたい。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) December 21, 2017
サッカーを仕事にしたくないというと、責任を負う覚悟がないのかと言われることがあるけれど、そうではなくて、やりたいことは本当は育成年代の指導というよりも、プレーをする為の場所とそれを寛容できる大人の心を育むことなんです。それをどうするかずっと考え続けている。
— KEI 助走の2017 (@Keivivito) December 31, 2017
サッカーの本質を追求する旅はつづく…