サッカーはフィールドの格闘技であると誰かが言った。
これはなかなか上手い表現である。しかし、更に的確に表現するなればこういうべきだろう。
「サッカーは遊びであり、魂の戦いである」
なぜ南米のサッカーは強く、上手いのだろうか。
その理由は、サッカーに人生をかけているからだ。
サッカーで食えなきゃ物乞いにならなきゃいけない。一生貧乏な生活をしなければならない。
そんな子供たちが大勢いる。
他人を出し抜いてでも這い上がる精神。
一度ピッチに立ったら死ぬ気で闘う精神。
ストリートや草サッカーでさえ、スカウトが目を光らせている。
だから彼らは常に真剣にプレーする。
そして真剣な戦いの中で生まれる駆け引き、相手を騙すためのテクニックが磨かれていく。
そして数々の死線をくぐり抜けてきた人間だけが立てるピッチがある。
その中ですら次元の違いを見せる男たちがいる。
そんな化け物たちのプレーをみながら、サッカーの本質を探っていこうと思う。
野獣のように襲いかからなければ決してボールが奪えない領域…
しかし、それすら簡単にいなしてしまう圧倒的なテクニック。足ごと狩ってやろうという相手の気持ちをクイッとすり抜ける巧さ…これがブラジルという土地が生み出したガンソという男の本質だ。サッカーは余計な力を抜き、相手に余計な力を出させるのだ。
誰かに教わって得られるものではないことを知れ
怪物ロナウドのこの超絶テクニックは誰かから教わったものなのだろうか?
答えはNOだ。
彼らはストリートで学び、真剣な遊びの中から常に見出すのだ。
相手を出し抜くための術を想像し、創造する。
毎日毎日、ストリートで繰り広げられる真剣勝負の中で、あらゆる局面を体感し、あらゆる打開策を見出す。世界の化物たちはそのように自分自身のプレーをつくってきた。
自分の身体からボールを離してしまったらすぐに奪われてしまう。
どんなボールも自分の真ん中にコントロールしなければならない。
相手のプレッシャーの中で学び、磨き上げた技術だ。
サッカーは駆け引きの連続だ。
相手の執拗なディフェンスも楽しみながらかいくぐる快感を一度味わってしまうと
もうサッカーの虜だ。
ロナウジーニョはサッカーという遊びを極めた男だ。相手との駆け引きを心から楽しむことができる。世界最高レベルの中でも遊心を忘れずにフットボールを愉しみ尽くした男がコントロールするボールは決して相手の足が届くことはない。
逆を行く。相手の想像の上をいくこと。ボールを転がし、相手の視線を転がす。
相手を動かすために背を向ける。ストリートや草サッカーでの真剣な遊びの中で育まれたテクニックは誰かから教わることはできない。フットボールは騙し合いであり、駆け引きなのだ。
キワのキワでなにができるかが大事なのだ。相手がいないところでいくら優雅にテクニックを披露したところでそれはただの「曲芸」だ。相手が襲い掛かってきたらあっという間に餌食になってしまう。修羅場をくぐれ!死線の中を生き延びて初めてこのピッチに立つことができる。
相手をムキにさせた時、相手が襲い掛かってきたときにこそリラックスしなければならない。剛には柔で対応するのがサッカーでは大事なポイントだ。殺気を撒き散らす相手はど真ん中が死角になるのだ。
死線を超えた先に見えてくる領域がこの鼻先でかわす技術だ。余計にボールを動かさずとも相手をコントロールする術がみについている。相手から逃げず、相手との駆け引きの積み重ねの上に習得可能な領域だ。相手から逃げてはいけないのだ。
サッカーは遊びであり、魂の戦いなのである。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…