サッカーの素晴らしさを伝えられる人が少ない
サッカーって素晴らしい!って多くの人が言うけれど、サッカーがどう素晴らしいのかをしっかり噛み砕いてセンス良く伝えることができる人が少ないっていうこと。
— KEI 綴り始める5月 (@Keivivito) 2016年5月26日
ブログやFacebook、Twitterで発信していると、ありがたいことに日々たくさんのサッカー関係者の方々からメッセージを頂きます。本気でサッカーと向き合い、選手たちと向き合う人たち、本気でやる人は多くの理不尽と日々戦っていて、頂くメッセージの文章から、発せられた言葉から強く熱い想いが伝わってくる。
一方でサッカーの表層的な部分しか見ることができず、メソッドや手法などに捉われてしまっている人がいる。「かの有名なあの人はこう言っているから…」とか「私も色々勉強してたくさん講習に行ってますよ」とか。
それで?アウトプットはどのように?その結果は?
と聞くと口を濁す。
目の前の子供たちの本質を見ようとせず、メソッドばかりを見てるということなんじゃないでしょうか。
私は後者のような人が圧倒的に多いと感じている。
つまり、サッカーの本質も教育の本質も理解しようとしない人がとても多いということであり、サッカーの素晴らしさを伝えられる人が少ないのだと感じている。
教育の本質ってなんだろうか
私は教育の本質というのは、その子が主体性を持って生きる為に促すことであり、自立させる為の試練を与えて見守ることだと考えている。
— KEI 綴り始める5月 (@Keivivito) 2016年5月26日
教えるということを履き違えている人が多いように思う。育てるということは一人前にすることであり、それはつまり一人で生きられるようにすることであり、自立させることです。全てを与えなければならない、教えなければならないと考える人が多いせいで、自分の頭で考えることができない人間が量産されている。
子供達のサッカーを見てればよくわかる。そこにいるコーチや親の発する声を聞けばすぐわかる。驚くほど多くの現場でサッカーの美しさは損なわれ、子供達の未来が壊されている。これは大袈裟ではなく…。
とても残念なことだと思う。
サッカーの本質を伝えることは、生きることの本質を伝えること
僕がなぜサッカーの素晴らしさを多くの人達に伝えたいかというと、サッカーというのは主体性を持って楽しむことであり、自分を、チームを創造していく喜びを体感できるからなんです。そしてそれは生きる事の本質と同じだと思ってる
— KEI 綴り始める5月 (@Keivivito) 2016年5月26日
サッカーを教えることができる人は、生きることの本質を伝えることができる。
サッカーというゲームの本質を理解できない人は、きっと本気で生きていない。
子供にサッカーを教えるということ
サッカーは自分の頭で考えて、自分の心で感じたことを自分の身体の全てを使って表現するものです。丸いボールをいかにしてゴールに導くか、そのプロセスを常に想像し創造することが許されている。ボールの蹴り方も、ボールの運び方も自由だ。
子供にサッカーを教えるということは、自分自身がプレーする喜びを表現し、それを共有すること、体感させること、表現させることだ。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
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