大人の知識は、子供の好奇心を喚びおこすのに使う可きで、余分の手助けに使う可きではない。
— 野口晴哉bot (@nharuchikabot) April 10, 2016
先日、寄稿させて頂いているBooks&Appsさんでこんなコラムを書きました。
幼稚園児を子供扱いしなかったら驚きの成長をとげた話 | Books&Apps
幼稚園児でも機会を与えればできる!という話です。
私はサッカーを子供たちに指導する経験を通じて、大切なことを学びました。
教えることの本質はなんだろうか。子供の成長の為にできることはなんだろうかと日々考え続けてきてわかったことがあります。
答えはあるんですよ。子供に教えなきゃいけないことはたくさんある。
でも、”教えること”の本質的な解を言うなれば、”教えるタイミング”と”伝える言葉”そして一番大事なのが”主体性を育むこと”です。
主体性を育むために
主体性を育むためには興味を持たせなければなりません。つまり好奇心を刺激してあげることが大切なのです。
興味を持たせることをすっ飛ばして、なにかを教えるという行為はほとんど意味がないです。私は学生時代、勉強に興味を持つことがなかった為に成績は常に平均以下でした。私の好奇心を刺激したのはサッカーだけでした。サッカーは心から好きでした。だからサッカーの面白さを伝えることはできるんです。サッカーの楽しさを子供たちに見せることができるんです。
大事なのは興味を持たせて主体的になってもらうことです。ここまでくれば”教える”ことも必要ないとさえ私は思います。今の世の中、教材は山ほどあり、自分でとることも可能なのです。
好奇心こそ、次の時代を拓く鍵である。これを追求し、果てしない努力をつづけるところに、子供の力がある。
— 野口晴哉bot (@nharuchikabot) April 11, 2016
子供に伝えるべきことは「君が選んでいいんだよ」ということ
生とは受身な状態ではない。
— 野口晴哉bot (@nharuchikabot) April 11, 2016
今、こうであっても、次の瞬間、どうなるか判らない。
自発的に動くこと、
成長すること、生殖すること等々、
いつも積極的に動きつづけている。
体は物であっても、生は物ではない。
物はいつも受身だ。
主体性をもって生きることができなければ、辛い日々を送ることになります。
誰かに指示されなければ行動できない受け身な人間になってしまったら、自分の幸せも誰かに決めてもらわなければならなくなる。それほど不幸なことはないと思います。
子供に伝えるべきことは「君が選んでいいんだよ」ということだと思います。
生きることの本質は”感じること”であり”表現すること”
問題は、体ではなく心である。
— 野口晴哉bot (@nharuchikabot) April 11, 2016
人を責め、追求し、他人の過ちのために自分の労力を消費するが如きのことをなさず、自分を楽しくし他人を快くすることの空想を、いつも心の中に拡げて生きることが養生というものである。
感覚、感性を育むということは、自分がなにを感じたかということを大切にしなさいということです。美味しかったのか不味かったのか。美しかったのか醜かったのか。気持ちよかったのか気持ち悪かったのか。最高だったのか最低だったのか。
君の心はどう感じたの?
そこをもっと大切にしなければならないと思います。
感じることからあらゆる表現が生まれ、芸術は生まれたのです。
生きることの本質は”感じること”であり”表現すること”だと私は思います。
主体性のないところにはなにも生まれないのです。
そして好奇心のないところに主体性は生まれません。
大人の知識は、子供の好奇心を喚びおこすためにあるのです。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
【参考記事】
「一流の育て方」 〜主体的に幸福な人生を切り開くためのヒントが記された一冊〜
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