「もしぼくがこれからグリーンランドまで行くと言ったらどうする?」
「ぼくの持っている北極海の情報を全部君に与えて、グッドラックという。それだけだ。九十九パーセント君は死ぬだろうが、それは君の問題だからね」 大人の国の男たちはいいものである。
野田知佑さんの著書、のんびり行こうぜ―こぎおろしエッセイ (新潮文庫)より引用。
これは野田さんがカナダの海を航海中に船長と交わした会話の一節である。
私はこの一節に大変感銘を受けた。
本当の優しさとは見守ることだ
なにか人と違うことをやろうとするとき、新たなチャレンジをしようとするとき、それがなにか大きなリスクを伴う場合、(死の危険がある。給料が激減する。等)多くの人は親身に話を聞いてくれるだろう。しかし、多くの場合、人は優しくこう諭してくれる。
「よく考えたほうがいい。頑張って乗ったレールの上を外れたら、もう二度とレールの上を歩くことはできない」あるいは「これまで積み上げてきたもの、培ってきたものすべてが無駄になってしまう。やめた方がいい」あなたの為を思って私は言っている!と。
私はカナダの海の船長と同様に誰かのチャレンジに対しては「グッドラック!」と言いたい。未知への挑戦ほどワクワクするものはない。リスクがあり、お金になんてならないけれど、”生きてるぜ”っていう実感はこういうときに感じるものだ。好奇心に突き動かされ、主体的に生きる様は美しい。これがやれる人というのは心で生きている人だと思うのだ。頭で理性優位に考えて生きるとどうしてもリスクヘッジすることになる。世間体を気にしてしまい、やりたいことができなくなってしまう。
自分の心が行きたいところに行けばいいと私は思う。命は守るためにあるのではなく、きっと使うためにある。
自分で出した答えにこそ価値がある
どう思うか、が大切なはずなのに、どう思われるか、の方が優先されてしまっている。これだと自分の力で何も決められなくなる。
— 中村洋太(My Columnist) (@yota1029) March 20, 2016
出した答えが、正しいものでも、そうでなくとも、その人が自分で出した答えであるならば価値がある。そしてそれをリスペクトしたい。どんなにリスクがあろうとも否定せずに応援したい。そして「グッドラック」と言いたい。結果的に上手くいかなくても、それはかけがえのない財産になる。
感情は抑えるのではなく上手く出させる
感情を露わにする。点を取られたらボールを蹴る。悔しすぎてキックオフをしない。もしかしたらですが、日本では教育的になりすぎているのかもしれない。監督や親は子どもたちに色々と我慢させすぎていて、感情を奪っている可能性がある。そして自由という言葉が流通するのだろうが、また勘違いがある
— Yuki Muramatsu (@YuKiMuramatsu__) March 27, 2016
感情を出すことを良しとしない日本の空気感が結果的に生き難い社会をつくっているのだと思う。感情は殺すのではなく、上手く表現できるようにならなければならないのだと思う。我慢させることよりも、上手く表現させることが大事なのだと思う。
”機会を与えるだけ”
ホリエモンが教える、“育児で大切なたった一つのこと” 「“機会を与えるだけ”なのが良い親だよ!」|U-NOTE [ユーノート] https://t.co/YQwNuACzLD
— 鬼木祐輔(フットボールスタイリスト) (@bonikun) March 21, 2016
そもそもの環境作り…
大切なのはこれから必要とされそうな技能を習得させることではなく、ただ機会を与えること。
提供する機会は流行っているものでなくても、なんでも構わない。世間で求められていたとしても、子どもに向いていなければ無理に覚えさせる必要は全くないのだ。
ホリエモンは、機会を提供するときに大切なのは「子どもが飽きてすぐに辞めてしまっても良い」と考えることだという。「とりえあず一年」と強制したって成果は出ないし、子どもが好きじゃないのだから何の意味もない。
「飽きたのだったらそれまで」と考えて、別の機会を与え続けるのが親の役割。ほとんどのことは放り出すかもしれないが、そのうち自分から熱中できる何かを見つけるかもしれない。何がやりたいのか分からないのなら、とにかく興味の対象を見つける機会を提供し、やりたいことが見つかったら全力で応援してあげるのがホリエモンの考える「あるべき親の姿」だ
サッカーが好きになれないなら、他のことをさせれば良い。
ピアノでも太鼓でもダンスでも水泳でも料理でもパソコンでもなんだっていい。
その子の好奇心を刺激するものに出会えた時、はじめてその子の旅が始まる。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
スポンサードリンク