これからは主体的に選んでいく時代
進む大学は自分で調べ、自分で決める。
この姿勢が貫かれている。
だから学校による受験対策も行われない。
文系理系といったコース分けもなく
中高6年間同じクラスに在籍し
そのまま卒業する。
次にどの道に進むのかみんなバラバラで
担任教師も時に関心を抱かない。
つまり非常に面倒見の悪い学校である。
授業は国時学習指導要領に縛られることなく
生徒の学問的興味優先、個性重視の内容で組まれている。
これは国からの私学助成金を1円も受け取っていない
からこそできることでもある。
一言で言えば自由な学校。
この漫画の一節である
この三田紀房さんの漫画が私は好きだ。そこいらの自己啓発本などよりよっぽど面白く、わかりやすい。物事の本質、社会の本質を見事に描いていると思う。
この一節に描かれている学校の在り方は、もうそう遠くない未来なのだと思う。
自分で選び自分で決める。それが当たり前になる。
いまがまさにその価値観のパラダイムシフトの真っ只中だ。
これまでの古い構造、仕組みを前提にした学校教育で育まれている生徒たちが少し可哀想だなと思う。
これから求められる能力はより想像的で創造的なものになるからだ。
自由を謳歌するために意識するべきこと
大人と子供の違いは年齢などではなく、世の中を自分の足でしっかり歩き、進んでいくことができるかどうかなのだと思う。つまり自分で考えて、自分で判断して行動できるかどうか。そしてその行動が何かに依存していないかどうか。そこにあるリスクを認識し受け入れることができるかどうか。これができれば5歳でも立派な大人だと思うし、これができなければ30歳でも子供だと思う。
自由を謳歌する為の最低限の条件は自立だ。
だからこそ指導者は子供に自立をするための機会と環境をつくらねばならない。
いま、多くの場面でこれができていない。
サッカーのピッチで自由を得るためには選手が自立していなければならないということ。
新時代を生きる我々に求められるふたつの能力
ひとつめは”選ぶ力”。自分が欲しいものを選ぶ力。自分にとって必要なものを選ぶ力。これは情報を自ら獲得し、その中から自分が欲しい情報を選ぶこと。自分にとって不要な情報は捨てて、必要な情報を見分けること。これはサッカーでも同じ。自分を自分で創るために自ら選ぶこと。誰かに選んでもらっていたらいつまでたっても子供なのである。
ふたつめは”デザイン力”。自分をデザインする力。デザインとは設計であり、図案である。つまり、こうありたいという自分像をイメージし、描いていくこと。
例えば私の場合、サッカーを通じて日本と海外の架け橋になれるようなことがしたいと考えた。
それでなにをするかというと、スペイン語と英語をマスターする。私の場合はスペイン語が分かる友達、英語がわかる友達をつくって協力してもらった。(そっちのが早い)そしてFacebookとTwitterでグループをつくり、集客する。「日本に旅行で来たら一緒にフットサルやサッカーしましょう」とスペイン語と英語でアナウンスする。
実際に連絡が来て来日する日がわかったら、今度は国内の参加希望者を集める。
「フットサルを通じて異文化交流やりたい人」と。
そうすると結構あっという間にやりたいことは実現してしまう。
非常にざっくり言ってしまうとデザイン力とは例えばこういうことだと思う。
サッカーはコーチもピッチに立つ選手もそれぞれがゴールまでのプロセスをデザインする力が求められる。より想像的に、より創造的に。
サッカーの本質を理解することは新時代を生き抜く力を育むことに繋がると思う。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
MAIL : keikun028@gmail.com
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