この本には、ネイマールとネイマールを育てた父の物語が描かれている。
ネイマールはいかにして育まれたかを、いかにして学んだかを、父の言葉の偉大さを、神の偉大さを、ピッチでの物語を…それらを余すことなく知ることができる素晴らしい一冊である。
この本の中の一節をご紹介したい。
ネイマールは走る姿だけで才能を見出された 〜才能を見つける目〜
ある日、僕はいつものように、ボールを蹴るんじゃなくて、ただただ走り回っていた。そこにロビーニョを見出し、世に送り出した名コーチ、ベッチーニョが偶然現れた。そんな彼が僕の走っている様子を一目見て気に入ったそうだ。走り姿だけで「将来プロ選手としてやっていける」と判断したんだ。けれども、その時の僕はプロになれるなんて、まったく考えていなかった。だって、子供だったからね。
ベッチーニョはその場で「あの子の親はいるかね?」と周囲に聞いて回り、父さんを見つけ出してその場で話し合った。彼は「自分のチームの練習にあなたの息子さんを参加させたい」と話したそうだ。
それが僕のサッカー人生のキックオフ、すべての始まりになったんだ。
たとえ才能があっても、それをしっかりと導いてくれる存在がいなければ正しい結果はもたらされない。よく言われることだけど、そのとうりだと思う。潜在能力がいくらあっても大成しなかった選手はたくさんいる。なぜなら、彼らには才能を開花させる為に導く者がいなかったからだ。
サッカーが土地に宿っている
走る姿を見るだけで、サッカーの才能を感じることのできる指導者がどれだけいるだろうか。ブラジルという国が偉大なのは、感覚の大切さを尊さをどの国よりも理解していることなのだと思う。リフティングの回数ではなく、ボールの触り方、ボールとの関係性、そういうところの大切さ。サッカーの本質が土地に宿っているのだ。
才能を見る目は本質を見る目である
指導者の柔らかさ、見る者の柔らかさが問われている。
自由な発想を持っているか? 表現者としての自覚はあるか?
サッカー以前に表現する者を育むという意識を持っているか?
人間が感じること、思考することの中に本質があるということを理解した人間にしか才能を見出すことはできない。それが意識的であれ無意識的であれ。
サッカーも人生も、人間の根源的な感情や感覚の中に”生”があり、それをいかに表現するかを問われているのだと思う。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…