1月某日、私は東大附属中学校にいた。
サッカー仲間であるBabaさんが携わっている中野中のサッカーの試合に誘ってもらったのである。中学生年代のサッカーを観る機会が滅多にない私はこの日を楽しみにしていた。
Babaさんはこんな人↓
Babaさんはとても柔らかく遊び心に満ちた”おやじ”なのである。
私はこういう柔らかさと遊び心を兼ね備えた”おやじ”が大好きだ。
そしてそんな大人に触れている中野中の子たちは想像を超えて柔らかかった。サッカー部の顧問の先生までも柔らかい人だった。
さて、そんな感じの中学生の試合。
みんなドリブルにこだわる。ディフェンスラインでもボールを持ったら逃げずにドリブルでしかける。まるで聖和学園の試合を見ているようだった。相手の学校は効率的なサッカー、リスクを抑えるチーム(これがまあ普通)で後ろにキックが上手な子、前に速くて上手い子という感じでなかなか試合としては面白い図式だった。
しかし、結果的に中野中は効率的なサッカーの前に屈してしまった。
そのサッカーで勝て!ということ
今はドリブルにこだわって練習してる彼らは愚直にドリブル勝負して2人くらい抜いた先で引っかかってゴールまでたどり着かない。裏に蹴られて走り負けて決められてしまうという典型的な負け方をしてしまったわけだ。
「試合どうだった?」と聞くと、「悔しい。勝ちたいです。どうすれば勝てるようになるんでしょうか?」と言ってくる。
私は冷たい人間なので「それは自分たちで考えた方がいい。」と突き放しておいたのだが、”勝ちたいんだ!”という気持ちを持っていること。自分たちのこだわってるもので”勝ちたいんだ!”という気持ちが超絶にナイスな子たちだった。
今は手段を選ばずに勝負だけにこだわるよりもテクニックや技術、ボールを上手く扱うことを大切にしている大人の意志、意図があるわけだ。指導者のそんな素晴らしいスタンスがありつつ、子供達は皆、勝利を望んでいる。素晴らしいじゃないかと思った。私はもっともっと勝利にこだわれと言いたい。自分たちの良さを出しながらいかに勝つかを想像し自分たちで勝つためのチームを創造していく楽しみが彼らには残されている。
そんな彼らに伝えたいことをここに書いておきたい。
密集でやれるようになるために
ボールを持つと時間をかけてじっくりと相手ゴールに近づいていく中野中の選手たち。後ろの方ではボールをゆったり持てる。でも中盤より前でボールを持った時、相手が2、3人プレッシャーをかけてくる環境になると前に急いでしまう。一気に余裕がなくなってしまう。これが今の彼らの課題だ。
ボールを持つ技術はある。でもその技術を試合でどう使うかというところがまだわからない。
密集でなにをやれるか、なにができるかというのがサッカーの面白いところなのだけれど、彼らはそこでの遊び方がまだわからない。自分たちの得意なドリブルをどうやったら活かせるかということを考えたり、武器を隠す術や武器を出す瞬間の駆け引きを知ることができたらこの子達の可能性は解放される。
ではどうすればいいかというと…
サッカーを観ること
中学生年代のスペインや南米の子たちは”サッカーを観ている”のだ。
良いサッカーを日常的に観ることが日本の子たちには不足している。どうやって攻撃を組み立てているか、どうやって守備陣を崩しているかというのを観ていること。イメージできるということ。この積み重ねが自分のサッカー観”感”を養う。メッシはなぜあんなにドリブルが上手いのにパスばかりするんだろう? なぜイニエスタはあんなに余裕を持ってプレーできるんだろう?という疑問を持ちながら試合を観ること。この”観る”経験をもっとした方が良い。
もっとエグい駆け引きを
この会場に来ていた中学生からマリーシアを感じることはなかった。つまりみんなすごく真面目で良い子達なんだと思う。本場のサッカーはもっとエグく、エゲツない駆け引きがあるということを知った方が良いと思った。サッカーは感情のゲームでもある。相手の嫌がることを90分やり続けなければならない。これは勝つために!というよりも楽しむために知る方が良い。これは教えるのではなく見ること。知ることなんだよね。
華やかなプレーで観衆を魅了するネイマールが試合中にどんな駆け引きをしているのか見てみよう↓
当然のことながら、上手くて速いネイマールは毎試合壮絶なマークに晒されている。
ディフェンダーも必死だ。ネイマールに自由にやらせないためにあらゆる駆け引きをしかけてくる。ボールが来る前も戦いなのだ。審判の見てないところでの駆け引きはエグい。本気で勝利を目指して戦うということはこういうことだ。ネイマールはそれすら凌駕する。
柔らかいだけじゃだめなんだ!
もっとエグくいけ!
エグい巧さで凌駕しろ!
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
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