自分にしか刻めないリズムを刻め
ピッチに立つ11人が同じリズムを刻めるようになることが美しいなどとは私は思わない。みんなドリブルが持ち味、みんなドリブルで勝負する。そういうチームがある。
パスサッカーなどという言葉があるように、パスを上手に回して勝利を目指すというサッカーがある。いずれにしろ、私はこういう類のサッカーは本質的にズレているなと感じる。ドリブルもパスもシュートもそいつがどう使うのかが肝。センス。
みんなが揃いも揃って同じようなプレーをするようなチームはハッキリ言ってダサい。お揃いのジャージをみんなと同じように着こなすことも私はしたくない。同じような特徴のある選手をピッチに並べたって面白いサッカーなんてできるわけがないのである。
誰かと同じってダサいよ。そう思えなきゃダメだと思う。
サッカーは90分の中でそれぞれがリズムを揃える瞬間もあれば、誰かがリズムを変える瞬間もあれば、誰かがリズムを止める瞬間もあれば、誰かがリズムを刻み始める瞬間もあれば、誰かがリズムを加速させる瞬間もあれば、誰かがまたリズムを揃える瞬間もある。これは誰もが予定できないことなのだ。
— KEI 整える。準備の1月 (@Keivivito) January 11, 2016
自分のリズムを愛することなしに、誰かのリズムを愛することはできない
自分のリズムを刻むこと。チームメイトそれぞれのリズムを知ること。チーム全体のリズムを感じること。試合のリズムを感じること。相手のリズムを感じること。そしてリズムで遊ぶこと。遊ぶことなしにリズムを自在に変化させる発想は生まれない。柔らかいリズムで、時には激しいリズムで、時には鋭いリズムでピッチで表現すること。リズムは自由だ。
自分のリズムを愛することなしに、誰かのリズムを愛することはできない。
サッカーは11人の異なる個性が本能的に表現するもの
ブラジルはブラジル独特のリズムがある。しかし、11人それぞれがまったく異なるリズムを刻む者たちなのである。ひとりひとりが異なる感覚、異なるリズムでプレーする。決して似た者同士が集まっているわけではない。その異質な個性が調和する瞬間にこそ強さがある。面白さがある。美しさがある。ということを彼らは知っている。
同じようなことをやらせながら違うところをみる
セレクションをして上手い子達を集めるチームをみていると多くの場合、同じ系統の選手を集めることになる。結果的に同じように上手い選手の集団になり、上手いだけで物足りない感じになる。
ドリブルにこだわるチームであるならば、ひとりひとりがまったく異なるタイプのドリブルを魅せなきゃダメだと思う。いくら上手くてもみんなが同じようなタイプのドリブルをするようじゃカッコ悪い。
ネイマールは唯一無二だから美しい
どんなに同じことをやらせてもみんなが同じようなプレーヤーに育つわけがないのである。みんなが同じ表現をするのだとしたらきっと強制(矯正)されているのだと思う。
あるいは指導者が、ひとりひとりの個性と向き合っていないんじゃないかとも思う。
選手みんなが同じような上手さを求めてるのだとしたらちょっと気持ち悪い。みんながネイマールのような選手を目指しているのなら、どんなにネイマールを愛していようと私はきっと異なる選手を目指すだろう。ネイマールは唯一無二だから美しいのだ。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
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