素足のフットボーラーユダーイ
12月某日、早朝の寒川駅に素足のフットボーラ―が道の端っこでリフティングをしていた。私を見るなり「あっイマイジーニョだ。ハジメマシテ!」と愛嬌のある笑顔で両手で私の手を握ってくれたユダーイ。彼の暖かい人間性がすぐさま伝わってきた。
しかし、彼は裸足だった。
寒さに震える私は聞いてみた。
私「寒くない?足怪我しない?」
ユ「ダイジョーブです。お守りしてますから。」
私「え?いいね。どこで買ったの?」
ユ「自分で作ったんです。」
私「…」
この寒さ。きっとコンクリートは猛烈に冷たい。
そこを当たり前のように裸足で歩くユダーイは嬉しそうに言った。
「5キロ4分台で走れるようになったんですよ。裸足で。」
「コンクリートだから痛くなさそうなところ選んで走れるようになったんですよ。」
「あとみてください。人差し指だけ動くようになったんですよ。すごくないですか?」
本当に嬉しそうに語る彼をみていて、私はこの青年を羨ましいと思った。
裸足で生活して得た境地を、自分が得た感覚を純粋に素直に喜び、人にその喜びを躊躇なく伝えることができるその姿をみて、なんてナイスなやつなんだ!私は大好きだ!と思った。そして私も裸足で生活したいと思った。裸足でボールを触れば上手くなるんだ。
”ララムリ”という走る種族の言葉を思い出した。
95歳の男が山を超えて40キロの道のりを歩いてきた場に居合わせたんだ。
どうしてその老人はそんなことができたかわかるか?
誰からもできないとは言われなかったからだ。
引用元:BORN TO RUN 走るために生まれた~ウルトラランナーVS人類最強の”走る民族”
ボールがなくてヤシの実で練習してたユダーイ
自分を強くできるのは自分しかいないということ
自分を強くできるのは自分しかいない
— Kei Imai (@Keivivito) 2015年12月23日
寒いから裸足はムリだと思い込んでいた。しかし、目の前に裸足でボールを蹴る人間がいる。冷たいコンクリートを歩いている人間がいる。
寒いからできないなどと思い込んでいた自分の弱さを知った。
自分ができると思ったらできるのだ。
自分を強くできるのは自分しかいないのだ。
彼はビーチサッカーで日本代表を目指しているそうだ。
上手くなりたい。強くなりたいと願っている。
そして自分で考え出した最良の答えは裸足の感覚を磨くことであり
日本中のヤバイ人たちに会ってなにかを感じ取ることであり
ここではないどこかに自分の身を置くことで感性を磨くことであると彼は考えたのかもしれない。これは私の勝手な想像なのだけれど。
彼は自分の目標を達成するための答えを自分自身で出した。そしてその答えは”捉われておらず”シンプルで本質的だと私は強く感じた。だからこそ応援したくなるし自分もインスパイアされているのだろう。
彼の影響で足袋を買ってしまった。
足袋でフットサルをしていた姿をみた私は、超いいね!と思った。
エアーたびフィット (黒) 5枚コハゼ エアーの見えないエアー地下足袋 株式会社 力王 (24.0cm)
超絶にうまい日本人が足袋でプレーしていたら世界は驚くだろう。
そして最高にカッコイイじゃないかと思った。
足の裏はゴムで表は薄い素足の感覚でプレーできる。
これなら感覚は磨かれる。
彼をみて、《Born To Run 走るために生まれた》という本にある言葉を思い出した。
もっともタフな男たちがもっとも優しい。酷使された脚がいちばん元気で、もっとも健康な人々がもっとも粗末な食事をし、無学な民族が誰よりも賢く、もっとも勤勉な男たちがいちばん楽しんでいる…
この本には走ることの根源性が記されている。それはサッカーの本質にも大いに通じている。是非サッカーを学ぶためだと思って読んでほしい一冊である。
人は自分の期待に沿って生きるんだ
天下一武闘会で少年と勝負するユダーイ
誤解を恐れずに言うと
「私は自分のためではなく、自分以外の誰かのために生きています」というのはちょっと良い表現ではないな、美しくないなと感じる。
本当は自分のために生き切ることが、結果的に誰かのためになるのだと思う。
誰かの期待に沿って生きるのではなく、自分の期待に沿って生きるんだ。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
スポンサードリンク