リケルメは言う「Por que no te jugas?」
2014.5/25(日)、私は亘崇詞さんのトークイベントに参加した。
亘さんと言えばアルゼンチンの名門ボカジュニアーズにスタッフとして携わった経験があるものすごい人である。南米サッカーが大好物の私は亘さんの話は最高だった。
その亘さんのインタビュー記事でとても面白い一節があるので紹介したい。
南米出身の選手は非常に創造性あふれるプレイをしていると思うんですね。これはどうやって生まれるんでしょうか?
という質問に、亘さん
「アルゼンチンに行って違うなと思ったのは日本ほどサッカーを細かく教えないんですね。目的とか大体のテーマをコーチが言いますけど、方法は選手に任せます。事細かく『ここにボールを止めなさい』とか『シュートコースの切り方はこうだ』とかまでを教えたりはしないですね。ブラジルやアルゼンチンの子どもたちは、小さいときからサッカーを見ている数も全然違いますし、それだけクリエイティブなサッカーをする人たちのサッカーを見て育っています。 やっぱり自分たち(の中)から出てくるものってのはすごく南米の子たちは大きいなと思います。
僕がボカのスタッフ時代に練習に混じったとき、迷惑をかけないようにワンタッチかツータッチで簡単にやったんです。そしたらリケルメが怒ってきたんですよ。『ポルケ ノーテ フガース!』って。『フガール』ってのは『遊ぶ』という意味。『なんで遊ばないの?』って。怒られたってのがすごく衝撃で。『お前がやっているのはプレイじゃない』というニュアンスのことを言われました」
遊びがないもの。そんなものサッカーじゃない。
南米のサッカーは”戦い”の中に”遊び”がある。これが当たり前で自然なのである。サッカーは戦いであり、遊びなのである。しかしながら日本の育成年代の指導の多くは”遊び”を取り除く。勝つ為には”遊び”なんてあってはいけない。軍隊のように走り、規律を重んじ強靭な体力と精神で相手を負かす。というような不自然で本質をないがしろにした価値観が蔓延している。サッカーの本質を知る本場の人間は皆、この日本の育成年代の惨状を目撃し驚愕する。
ボールを持ったら”遊べ”そのかわり”絶対取られるな”
私は「いくらでもボールを持って好きなだけ遊べば良い」と思っている。そのかわり絶対にボールは奪われるな!だ。ボールを持って取られてしまうのは下手だからだ。遊ぶ時間が足りてないからだ。ボールを持って取られるからボールを持つことを放棄して「蹴れ」「走れ」というのはただの現実逃避でありサッカーから逃げているだけだ。
リケルメをみよ!
なぜ遊ばないんだ?
きっとリケルメは日本の少年サッカーや部活サッカーを見てこういう。「なぜ遊ばないんだ?」「サッカーを遊べない人間はピッチから出てくれ」と。
ボールを持ちすぎる人間を嫌う人が多すぎる。ボールを簡単に取られる人が多すぎる。
これらの原因は”真剣な遊び”が磨かれていないということだ。
ボールを持つことの喜びを自分に宿せ
日本と南米のサッカーの一番の違いはこの”ボールは絶対に奪われてはいけないモノ”という感覚だと感じている。ボールに対する執着心が日本人とは違う。「ボールは大切にしましょう」「ボールの上に座らないで!ボールを大切にして!」とかいう言葉を指導の現場でたまに聞くこともあるが、全然違う。ボールを奪われたら死ぬ気で取り返せ、そしてボールは死んでも奪われるな。という気持ちが南米という大地に宿っている。当たり前なのである。ボールを簡単に奪われるということはボールを持つことの喜びを知らないということだ。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…