大人になってから学ぶサッカーの本質とは

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扱いやすい選手にするのではなく、自力で解決できる選手を 〜蒼天のエスペランサカップ〜  

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エスペランサカップ 

 2015.11/3(火)文化の日、この日はエスペランサカップに行ってきた。

数週間前、私が以前コーチとして携わっていたSUERTE juniors 横浜 の代表くぼっちに「エスペランサカップっていうのがあってウチも出るからよかったら是非!」と声をかけてもらっていて超絶に楽しみにしていたのです。

 

先月エスペランサのU-15の試合レポート↓※エスペランサを知らない方へ

keikun028.hatenadiary.jp

 

期待を裏切らない素敵な1日を過ごすことができたのだけれど、この日感じたことを書いておきたい。

大人が強制したり矯正するとダメになる

スエルテ対某チームの試合を観ていて色々なことを感じたのだけれど、とりわけ気になったのが子供たちの表現を阻害するコーチの声だった。「あたれ!」「走れ!」「つぶせ!」などといった言葉を激しく使うコーチがいたが、案の定それを言われた子供は萎縮しコーチの声に支配されてしまい、身体がガチガチにこわばっていた。もちろん選手自身の判断が入る余地などなくなってしまっていた。

勝ちたい!負けたくない!という気持ちをいかに自然に持たせるかというのが指導者の力なんじゃないのか。私はハッキリ言ってこのコーチのアプローチは間違っていると思う。コーチングの質は外から観ているとよくわかる。

 

身体の力が抜けていると表現力が上がる

対するスエルテの子供たちはというと、身体に余計な力が入っておらず滑らかで柔らかいプレーで相手をいなしていく。この差は歴然でチーム全体としてのイメージが全然違って見える。大人にやらされているチーム。子供が主体的にやっているチーム。こういう形になる。

 

身体に余計な力が入っていたら良いプレーなんてできない。ということがよく分かる光景だった。

大人が子供にどうしても勝たせたいという気持ちは美しくない

この日来ていた数チームを観ていて痛烈に感じたのが、”大人がどうしても勝たせたい気持ちは美しくない”ということだった。コーチの役目は試合に勝たせることなのだ!という決定的な誤認識が子供の成長の機会を奪っている。

まるで試合に負けたらコーチをクビにでもなってしまうと言わんばかりの必死さ。この姿は本当に美しくない。というかダサい。

コーチの役目はなんだと思いますか?

ラグビーの偉大な名コーチはこう言っている。

コーチにとって大切なのは、「選手はなぜそういう決断をしたのか」を考えることです。

 

「選手一人ひとりにとって、何が必要なのか、それを見極めるのがコーチングにおける『アート』なんです。選手個々の能力を引き出すためには、どのようなコミュニケーションを取るべきなのか。それこそ数限りないケースが考えられるわけです。その見極めにこそ『アート』が生まれる余地があります」

コーチの在り方を考え直さなければいけない。子供に勝たせたい気持ちはわかる。しかし、アプローチを間違ってしまったダメなのである。

対外試合に行くなら自分のチーム以外もしっかり観察できなきゃいけない

これはものすごく大切なことだと個人的には思うのだけれど、せっかく対外試合に来て自分のチームしか見れない、見ないというのはとてももったいないと感じる。自分のチーム以外は興味がないようなコーチがいたような気がする。他のチームのコーチはどういうコーチングをしているのか、選手はどういう表現をしているのか、こういうことを見て感じることができなければコーチの成長はない。

 

 

良い選手は様になる 

 スエルテの小さい魔人f:id:keikun028:20151107083228j:image

 

スエルテの18番は誰が見ても上手い。雰囲気もイイ。オルテガさんも「彼は素晴らしい」と言っていた。ところが私は別のところにダイヤの原石を発見した。ひときわ小さい23番である。スエルテの名コーチくぼっちも「23は良いよ」と試合前から言っていたけど、やはり素晴らしかった。ピッチでの存在感、雰囲気、歩き方、走り方、身体の使い方、蹴り方、ボールの触り方、すべてが様になる。こういうダイヤの原石にはなかなか出会えない。スエルテの子供たちはみんな柔らかくて上手いのだが、その中でも異質だった。

 

扱いやすい選手にすることではなく、自力で解決できる選手に

扱いやすい選手というのは可愛いものだ。なんでも言うことを聞いてくれる。言われた指示どうりに動いてくれる。しかし、そんな選手を育てるために必死になることは愚かである。

サッカーは言うことを聞く力よりも自力で問題を解決できる力の方が重要なのである。もっと言うと主体的に動ける選手でなければならない。サッカーは常に状況が変わりコンディションも変化する。そんな中信頼できるのは自分とピッチに立つ仲間しかいない。言うことを聞いてくれることに快感を感じるのならプログラミンを学べばいい。自分の思うどうりに動くロボットを作ればいい。

扱いやすい選手なんかにしたらいかんのです。

 

エスペランサという偉大なクラブ

エスペランサという素晴らしいクラブがある。アルゼンチン代表でマラドーナとプレーしたオルテガさんとそのファミリーが率いるクラブが本気で日本の子供にサッカーを伝えている。自前のグラウンドまでつくり、トップチームも本気でプロを目指している。

選手たちもスタッフも皆、良い顔をしている。オルテガさんは決して良い選手を集めているわけではない。逆にプレーする機会を得られない子供達を受け入れて育てている。そんな大きな愛と情熱がこのクラブの魅力である。そしてここまで強いチームを作り上げた。本当に素晴らしいと思う。

そして、「いつでも来てください」といつもあたたかい握手をしてくれるオルテガさん、パブロさん、ミシェルさん、阿部さん。Muchas gracias!

www.school-esperanza.jp

 

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サッカーの本質を追求する旅はつづく…

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