32歳になった。驚くほどあっという間に時間は過ぎていく。
そして、32歳としてふさわしい人間になれたという自信は全くない。
私のイメージしていた32歳は安定感があって余裕がある立派な大人だった。
しかし、私は全くもって不安定であり、精神的にも金銭的にも余裕などなく立派な大人になどなれていない。それでもここまで生きることができた。
ここ最近になって気が付いたことがある。
想いを伝えること
私はこのブログを通じて自分の感じたことを発信してきました。
正しいか間違ってるかではなく、ただ感じたこと、思ったことことを書いてきた。
自分が大事にしていること、自分にとって大切なものが多くの人に伝わることによって
様々な発見と様々な出会いがあった。それはとても素晴らしいことであり、嬉しいことでした。
”想いを伝えること”はとても大事なことなのだけれど。実は”想い”が生まれる過程がとても大切なんだと最近感じている。
大事なのは想いが生まれる過程
想いが生まれる瞬間とはどういう時だろうか。それは人と人のふれあいの中で育まれる。自然とのふれあいの中で育まれる。
人は多様であり、世界は多様である。美しいものも醜いものもいたるところに存在する。そういうものを見て、ふれてみて、なにかを感じることができなければ
想いは生まれない。
本当に大事なのは世間一般の価値観をすべて脱ぎ捨てて自分の生身の感性で見ることなんだと思う。もっと自分が感じることにフォーカスするべきだ。
そして自分と本気で向き合うことは自分以外の大切な誰かと真剣に向き合うことでもある。他の誰かの価値観のせいで世間体や常識に囚われて自分の感性を殺されてはいけない。
感覚と感性を大切にすること
私は感性をなによりも大切にして生きていきたいと思っている。今はどこに行っても”感じる”ことよりも”考える”ことの方が重要視されてしまう。
感じることがないがしろにされると”想い”は生まれない。
私の大切な仲間であるペルー人のダニーもビクトルも考えるよりも感じることを大切に生きているのがわかる。彼らは自分を楽しませるのがとても上手い。そして自分が楽しい感じになると周囲にも良い”感じ”が伝播する。彼らは人の心を大切にすることができる。それはなぜかというと自分の感覚や感性を大切に生きているからだと思う。自分の感覚や感性を大切にできないと他人の感覚や感性の大切さもわからない。
孤独な時、それはきっと、自分に必要な何かに対峙している時
私はもっと旅がしたいと思う。自然に触れたいと思う。様々な人間と話したいと思う。
そういうことの積み重ねが自分の感性を育てるのだと思う。感性を育てるには様々な経験をする中で自分の心と体と向き合うことが必要だ。
それは孤独を受け入れることを意味する。孤独は自分を知る為の時間である。孤独は自分を育てる。自分と本気で向き合ったことが無い人間に他人と向き合うことはできないのだ。人は多様であり、世界は多様である。
孤独な時、それはきっと、自分に必要な何かに対峙をしている時だと思う。孤独をごまかせば一時的な苦しみからは逃れることができるけれど、同時に、自分自身を取り逃がす。多分、孤独な時にひとは「ほんとうの言葉」を見つける。その言葉には、誰かに汚される前の純粋な熱情が含まれている。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 9月 14
サッカーは感性を養う最高の遊び
サッカーは自分の感覚を養うための最高の遊びだということ。これに気がつかなきゃいけない。自分の感覚、感性に忠実でないと自分らしく生きられない。自分らしい表現は生まれない。サッカーに携わる大人に問いたい。子供の感性を大切にしていますか?自分の感性を大切にしていますか?と。
子供には”考えること”以上に”感じること”の大切さを伝えなければならないと思う。サッカーのルールよりも、サッカーの楽しさを。ボールの蹴り方よりもプレーする喜びを。”教える”ってことに捉われてはいけない。”情熱”や”愛”は誰かから教わるものではない。誰かから伝わるものだ。”教えること”よりもまず自分がサッカーを楽しんで欲しいと思う。ただただサッカーを愛し、人を愛することができ、情熱を持って自分と仲間と向き合える人間とともに在りたい。想いは伝わる。
サッカーの本質を追求する旅は続く…
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