本当に大切なのは自分が感じる価値観
自分で言うのも恥ずかしいのだけれど、社会の厳しさに打ち負かされ、自信を失い、ひとり放浪の旅に出た20代前半、人並みに生きるために会社に勤め始めた20代後半。会社で生きるために自分を殺して生活する日々を送った。これは自分を殺さなければ生きられないというよりも、自分が社会、会社に馴染むことができない社会不適合な人間という部分が大きかったように思う。それでもどうにかして成功したい。お金持ちになりたいと思っていた。多くの自己啓発本を読み、何人かの起業家の方に会ったり、事業で大金を稼いでいる方にもお会いしてお話を伺ったりした。自分もこうなりたい。稼げるようになりたい。その一心で色々な仕事に取り組んでみたりした。
しかし、どれも長続きはしなかった。
他人の価値観で生きてはいけない
自分には向いていない。いや、やりたいことじゃない。なんて言い訳をしてできない理由を探した。いま思うと本当に愚かでダサい人間だ。なぜ、こんな状態になってしまったんだろう。いまやっとハッキリわかることは、自分の大切にしたいことがなんとなく分かっていながらも明確になっていなかったということ。
これは自分の価値観がクリアになった今だからわかることだ。
他人の価値観で生きてはいけない。
このように考えることができるのも、数々の失敗を経て何度も自分と向き合うことができたからこそだと感じている。
「自由」とは自分の分を知るということである
ある書物の一節を引用したい。
※この本は私の人生の教科書のひとつ
いまはお受験ブームで3歳からその準備をさせる親が少なからずいる時代です。受験、受験と言って、いったい親は何を学ばせたいんでしょうか。
結局は、いい学校を出て、いい会社に入ってという決まりきったレールに乗っかって欲しいということなんだと思うけど、人生において何が本当に大事かを教えることをしているようにはとても見えない。何が大事かを教わっていないから、社会に出たら、成功してお金持ちになるのが一番の価値なんだみたいな話になってしまう。
下記書物より引用
品格のある価値観
価値観というのは教育者にとってとても大事なことであると思う。
教育者とはすべての大人のことであり、大人は後世に大切な価値観を育て、社会を作る基盤となる存在だと私は思う。
価値観は多様である。しかし、その価値観は品格があるべきで、本当に大切なものはなんなのかという本質的なものがベースになければならないと思う。
非常に狭い枠にはめられた似通った価値観のなかで人生を決めているような人が多い。そんな他人の価値観に依存しているから、肝心なことが抜けたまま、みんな前へ進んでいる。
自分のために生きるということ
この一節はいまの社会を象徴していると感じている。
他人と一緒という安心感や同調圧力に個人が簡単に屈してしまう。
しかし、私の周りの”生きている人”は必ず孤独を経験し、自分の心に忠実に生きている。みんなとても純粋で輝いている。こういう人たちを見ていると”生きてる”と思う。
”生きる”とは、ただ食べるために命を使うことではなく、自分の命を自分の心のために使える人なのだと思う。きっと自分のために”生きる”ことができる人は他人も生かすことができる。
もっと”生きねばならない”と思う。感じる心がもったいないじゃないか
生身で生きていない。世間の価値観ではなく、自分の実感から出てくるような価値観、生きたナマの価値観でやっていくことこそ大切なんですよ。
世間一般の常識や価値観に捉われてはならない。そのためには裸の心で様々な価値観を知り、曇りなき目で世界を… そして自分の心を見ること。そうして自分の価値観を育てていかなければならない。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
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