大人になってから学ぶサッカーの本質とは

サッカーの本質を追求するWebマガジン 考えるよりも感じることを大切に 美しさとは何かを感じる心を大切に 大切なものを失わない為に書き綴る

サッカーは創作であり、チームは創造するもの 〜コーチをやってみて知った子供の自由を奪う大人のエゴ〜

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サッカーコーチ時代、小学1,2年生を大会に連れて行ったときの話。

この子たちはとても面白い個性がそろっていた。幼稚園児の時からサッカーの時間になると勝手に試合をはじめて集合をかけても集まらないような子達だった。

もちろん練習はほとんどゲーム(試合)。うちのクラブは”団子サッカーを制するものが試合を制す”というコンセプトを楽しんでおり、子供たちの”気づき”と”主体性”を尊重していた。(当たり前のことだけれど…)

 

”大人に強制(矯正)”された蹴って走るサッカー

対外試合にいくとお決まりの、”大人に強制(矯正)された蹴って走るサッカー”と戦うことになる。

ピッチの外にいる大人が試合を支配しようとするサッカーである。細かいポジション修正と細かい指示(命令)。10歳に満たない子供達に…

そんなチームとの対戦は最初はコテンパンにやられる。的確な大人の指示ですぐに自陣近くまで蹴られてしまう。そこに相手がいて簡単にシュートを決められてしまう。

なぜかボールが触れないという現象にうちの子供たちは戸惑う。

そりゃそうだ。そんなサッカー見せたことも教えたこともない。

しかし、せっかく試合に来て自分たちの楽しみを表現できないことは苦しみでしかない。

そこで私は子供たちにこう言ってみた「相手はボールを蹴ってくるよね。どうする?」

子供達「後ろに誰かいないとやられちゃうよ」

私「そうだね。じゃあ誰か後ろにいれば良いんじゃない。」

子供達「うん」

私「でも一番簡単なのはボール蹴らせなきゃ良いんじゃない?」

子供達「じゃあ足速いからケイタとタッくんがやればいいよ」

私「よし。じゃ行っといで」

とこんな感じで後半戦。

ケイタとタッくんは相手が蹴る前にボールを奪った。そしてそのまま普段の団子サッカーで磨かれた密集を制するドリブルで次々とゴールを決める。

蹴られても後ろにいるユウジやセイヤがしっかりボールをとって前につないでいく。

そして見事に後半は逆転した。という一幕があった。

こうして子供達は学んでいく。

 

私が言いたいのは”大人がサッカーを奪ってはいけない”ということ。

 

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強制や矯正はただの大人のエゴ

必要なのは好奇心と気持ちを刺激することだけなのだ。大人が勝たせようとするのは情熱でも子供の為でもなんでもなく、ただのエゴだと思う。様々なアプローチの方法はあると思う。しかし、そこには自分のチームの子供だけでなく相手チームの子供も存在する。大人があらかじめ用意、準備した戦術を子供に強制することは大きな過ちだ。なぜなら強制や型にハメることは、自由を制御することであり、”やっていいこと””やってはいけないこと”は人間の主体的な判断を奪う。

サッカーは創作であり、チームは創造するものである。

創造するということは型を壊すということであり、常識や決められた枠から自由になることである。いま、自由にならなければならないのは大人なのである。

 

当時コーチとして学んだクラブ↓

SUERTE juniors 横浜 Official Blog

私のサッカー観や人生観はこのクラブで経験したことで作られたと言っていい。

代表のくぼっち、そしてコーチをしようと誘ってくれた斎藤には感謝している。

keikun028.hatenadiary.jp

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サッカーの本質を追求する旅はつづく…

 

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