大切なことを見る目
たとえばグアルディオラの練習を観に行くとき。
なにをみたいか。なにが知りたいか。自問してみてほしい。
多くの人はどんな練習をしているのかが知りたいという。
しかし、私はグアルディオラがどんな練習をするかよりも興味があることがある。
それはチームの雰囲気であり、グアルディオラやコーチが発する言葉であり、選手間で交わされる言葉であり、選手と監督、コーチの間で交わされる言葉である。
ひとりひとりがどういう表現をしようとしているのか、どういう感覚でプレーをしているのか、そしてチームがどういう表現をしたいのかということである。
本当に重要なものは形にならないもの
メソッドなんかよりも大事なことはひとりひとりが表現しようとしているもの。チームとしてどんな表現を創ろうとしているかということが大切で、それはトレーニングの形ではなく中身をみなければわからない。形から得られるヒントもあるとは思うが本質にはたどり着かない。
外見や表面しか見えないようではとてもサッカーじゃ食べていけない。良い選手にもなれないし、良い指導者にもなれない。サッカーは人間の内側から湧き出るものを表現する行為であり、個性と個性が調和して表現されるものが美しいサッカーになるのだと思う。
他人とは違うところをみること
私の場合はみんなと同じことができない、同じようにできないということがコンプレックスだったのだけれどサッカーをやっているとそれは時に強烈な強みになるということがわかった。だから他人とは同じように観察できなくて良い。むしろ違った見え方ができた方が強い。と思うようになった。そしてそれは本質にたどり着く。
大切なことは自分で答えを出すことであり、そのために何をみるか。
誰もがみえているところに勝機はない。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
スポンサードリンク