”サッカーとは絵を描くことである”という記事を書いた。
私はサッカーは芸術に近いものだと思っていて、それ故、サッカーは”考えるよりも感じることが大切だ”と書いた。今回はサッカーにおいて大切なもう一つのことをお話ししたいと思います。
ずいぶん前に読んだ本の一コマ(本の紹介は下)
日本画家の千住博さんの言葉を引用する
”世に認められるのに必要なものはなにか?認められるまでひたすらに描くことです”
私は自分自身に問いかけます。画家として世に出ることと出ないことの違いは何だろうか、と。それは才能の違いではありません。思うに、世に出るとは世に出るまで絵を描き続けた人であり、世に出なかった人とは世に出る前に絵を描くのをやめてしまった人なんです。自分の仕事を信じて続けることです。
世に出るとは、打たれても打たれても舞台に立ち続けること。厳しい批判に晒されても、描くことを放棄せず、じっと耐えて、また絵に向かい合う。
本当の芸術とは、わかってくれない人たちを美の力で引き寄せる、あるいは説得することです。つまり分かり合えない人とわかりあう為の手段が芸術なんです。これは美術でも音楽でも文学でも同じ、芸術とはコミュニケーションであり、人を共感させる営為なんです。
本質を見極める目
表層しかみない人は物事や人を簡単に決めつける。枠にくくろうとする。そんな人間ばかりで疲れる。
— Kei Imai (@Keivivito) 2015年6月30日
今の世の中は「10分で上手くなる魔法のトレーニング」とか「あっという間にリフティングが上手くなる方法」的な簡単で効率的に成長する方法などという情報が溢れかえっている。しかし、情報やモノをしっかりと吟味する行為が欠けている。少なくとも物事の本質を考えたり自分の心の中を観察する時間など多くの人がとれていないように思う。それゆえ、表面的な情報に流されてしまう。響きの良いモノをシェアして終わってしまう。しかし、本当に強い人間は圧倒的な量をこなしている事実がある。ひたすら没頭し、ひたすらやり続けた先にしか見えない景色がある。その景色を見ることのできる人間がつまりはプロと言われる人なんだと思う。本質を見極める目を養わなければならない。
表現者は物事の本質を観察しなければならない
表現者にとって観察することは何にもまして大切。サッカー選手は表現者です。
— Kei Imai (@Keivivito) 2015年6月30日
しっかり見ること、見て感じたことを考察することがなにより大切だ。世の中に流通している情報の多くは私たちにとって不要な、余計なモノだ。ありきたりな言葉になってしまうけど一般的な常識をまず疑うことだ。
じっと観察して、対象がどういう色をしているのか、どういう形をしているのか、どういう質感をもっているのか見て、愚直に描くしかない。手間をかけないで効率的に描写しようとするから本質が抜ける。
— Kei Imai (@Keivivito) 2015年6月30日
サッカーをとことん突き詰めるということは、じっくり観察して愚直に描く芸術家と同じ。愚直にフットボールと向き合うしかない。何万回の失敗の先に最高の瞬間が必ず訪れる。
サッカーは”考えるよりも感じること、そして本質を見つづけること
サッカーの本質を追求する旅はつづく…