スペイン国王杯決勝のバルセロナ対アスレチックビルバオ戦でネイマールのヒールリフトが物議を醸し出している。問題なのは、3−1でバルサの勝ちがほぼ決まった時点でヒールリフトをやったことだ。
Neymar's Rainbow Flick Makes Athletic Players ...
私がこのプレーを観ていて感じたのは、多くの人が言う”ネイマールやっちゃダメだろ論”とは逆に”ビルバオの選手は熱いな!”ということだった。
ネイマールに悪意があるとは思えない
このプレーに関してネイマールに悪意があるとはとても思えない。ただ相手との間合いとタイミングの中で適切なプレーをしたんじゃなかろうか。悪意があるないに関わらず「スペインじゃ侮辱にあたる行為」と騒がれていて、ネイマールは「僕はどんな状況でもこんな感じでドリブルするさ。0-0であってもね。スコアは関係ない。みんなは僕のフェイントに怒っているんだろ? でも、僕はやり方を変えるつもりはないよ。これが自分のプレースタイルだから」
この反応がまた話題に火をつけているようだ。
ネイマールはリスペクトを欠く選手ではない
私が感じる違和感はネイマールの行為に対する批判の圧力がネイマールというピュアなフットボーラーの存在を喪失させてしまっていることだ。
そもそも彼はリスペクトを欠く選手ではないと思う。いままでの彼の立ち振る舞いを見て、こいつは倫理観のないやつだな。と思った人いるんだろうか。ここまで日本で加熱する問題ではないはずだ。熱くなったビルバオの選手たちの反応が話題になってスペインでこうなるのは当然という話がサッカーでこれやっちゃいかんだろってところまで飛躍するほどの話題じゃないと僕は個人的に思います。
ネイマールはピュアなフットボーラーだ
しかし、もしスペイン人たちがネイマールを否定し日本や、その他多くの国でネイマールのプレーが矯正され、喜びが失われてしまうのならブラジルで伸び伸びとプレーしてほしい。彼のプレーは多くの喜びをもたらし人々を幸せにするべきだ。
ネイマールはただサッカーを純粋に楽しむだけに存在している
サッカーの楽しみを純粋に追求した結果がいまのネイマールであり、その彼が繰り出す当たり前の(彼にとって普通の)プレーを快く思わない人がいるということは文化の違いであり、その異なる文化の中で生きていく上で彼自身が変えなきゃいけないと思えば変えれば良いのである。ネイマールのピュアな心やあり方はもっと尊重して良いはずだ。
許容できない世界は息苦しい
あのプレーが絶対に許されないプレーだとは思えない。私はもっと許容レベルをあげたほうが良いと感じている。過度に”やっちゃいけないこと”が守られる雰囲気は息苦しいだけだ。サッカーはもっと自由で良い。色んな文化の違いがあって衝突する。この国ではOK
この国ではNGで衝撃的な違いはあれどお互いに許容しあってその場の調和がとれる。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…