バカになれる人は魅力的だ
バカになれる人はバカじゃない!
— Kei Imai (@Keivivito) 2015年5月17日
バカになれる人は魅力的である。一流のサッカー選手はとても自然にありのままの自分を表現する。バカになれる人は自分を表現する力がある。あれもダメこれもダメと徹底して規制したり管理することは時に選手の表現力を奪う。良いパフォーマンスを阻害することになり得る。サッカーは自分を表現する一つの手段なのだから感情表現や身体表現はとても大切な要素である。選手の表現力を解放することも大人の大事な役目なのである。
自分の弱さを見せられる人には魅力がある
ヨガの先生だから健康的じゃないといけないとか、人気者だから常に明るくいなければいけないとか、親だからとか長女だからしっかりしていなければいけないとか、(自然や移動を通じて)そういう日常的にまとっている世間的なスーツを脱ぎ捨てて、一時的にでも裸の自分に戻れる瞬間は貴重だ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015年5月14日
サッカーを教える立場になると子供に弱いところを見せてはいけないと思ってしまう。しかし人間はそもそも不完全な生き物で完璧な人間なんていない。私はあれも知っている、これも知っている、あれもできる、これもできる。という人間は信用できないし信用されない。自分の弱さを隠して自分を優位にしようとする人間は嘘を伝えることになる。自分の弱さを見せられる人しか信用は得られないように子供にもありのままを見せることが大切なんじゃないかと思う。そういうことを伝えることも大人の大事な役目だと思う。
自分にしかできないことを突き詰めること
サッカーは一人じゃできない。でもみんなと同じようにやることはできない。みんなと同じように出来る必要もない。みんなと違うからこそ出来る。みんなと同じ自分がいるならヤバいと思えないとサッカーでは食べていけない。
— Kei Imai (@Keivivito) 2015年5月17日
サッカーは自分を追求することが許されている。圧倒的な個性が強みになるのがサッカーでもある。普通に生活していると多くの場面で”みんなと同じこと”が求められるが、サッカーは”みんなと違う”自由が与えられている。誰かと同じプレーは誰かの表現であって自分の表現ではない。そういう感覚を持つべきだ。他人と違うことが価値になるということ!そして一流のサッカー選手ほど他人と自分を比べない。
もっともっと自分らしく!
ネイマールはサッカーが巧いと同時に自分を表現することが巧い。
自分を上手く表現できるようになるには、他人と違う自分を受け入れて圧倒的に認めることだ。そして自分を信じて突き進むことが自分らしくあるということ!
サッカーの本質を追求する旅はつづく