大人になってから学ぶサッカーの本質とは

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鬼木祐輔が語る日本サッカー発展のヒント|ボールと繋がる日本人、ゴールと繋がるブラジル人

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日本を代表するサイドバック、長友佑都選手の専属トレーナーである鬼木祐輔氏のイベントに行ってきました。 

前回のレポート(2年前)はこちら↓

keikun028.hatenadiary.jp

 

世界のトッププレーヤーの動き、身体の使い方を分析し、独自のメソッドを確立している鬼木氏。彼の面白いところは進化し続けていることだ。それも見ているポイントがまた興味深い。

身体の仕組みを学び、フットボールに最適な動作を追求していたと思ったら、ここ数年は言語を通じてフットボールを追求している。

一年前にサッカーと言語についてインスタグラムのメッセージで色々とやりとりをしていたのですが、その時に彼が伝えたかったことが今回とてもクリアになった↓

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見えてる景色が違うということ

英語、スペイン語、イタリア語、トルコ語を学んでいくうちに気が付いたという鬼木氏。

何が見えてるか、何をどう見ているか、全然違うんです。だって、前提が違うんだもの。

前提とはなにか?

日本語でサッカーを教えることと、スペイン語でサッカーを教えることって全然伝わり方が違うということなんです。

つまり、サッカーを生み出した国、サッカー文化が発展していった国の言語と日本語の違いって想像以上に大きいのでは?という仮説を立てているわけです。

そもそも鬼木氏自身がこのように考えるきっかけについてこんな話をしていました。

 

イタリアに行って、そもそも仕組みが違うと感じたんです。セリエBの最下位のチームの試合を観た時に衝撃を受けたんですが、まず人工芝でやっているんですよ。それで、最下位のチームの選手たちのアップの動きが理想の動き過ぎたわけです。本当に理想の動きだなと思った。なぜそうなるかを知りたいと思ったのがきっかけですね。

で、見れば見るほど日本人だけが違うのでは?と思うようになったんです。

 

ボールと繋がる日本人、ゴールと繋がるブラジル人

動画を見ながら解説してくれたのですが、クロスボールに対して、ゴールに向かって走っているブラジル人、ボールに向かって走っている日本人は決定力がえらい違うわけです。

 

これを鬼木さんは「目的地の認識」と言います。

要はサッカーの捉え方が日本人とブラジル人では全然違うということ、サッカーというゲームの解釈が違うということです。

サッカーが強い国は例外なく目的地が明確にゴールなんですね。日本はゴールというよりもボールと繋がっている傾向がある。そう言われてみると、確かにドリドリ、コネコネする育成年代のチームはたくさんあります。これは海外ではありえない光景だそうです。(←スペイン、南米の育成年代で指導してた方みんな言います)

これは否定ではなく、日本語という言語の特殊性によるものだと思っています。いつかポジティブに働く可能性はあるかもしれない。

フットボールが得意な人たちの視点を知ることは、我々日本人にとってとても重要なことだと思います。

このように鬼木氏は語ったわけですが、要は国によって常識が異なるわけですから、日本の常識しか知らないことは損失だよねということです。

もっと、海外に行って、観て、感じる経験は必要だと思います。日本という島国から出ることはとても大切なことだと私は思います。

指導者が見えている景色を選手に共有できているか?

指導者は選手たちに何かを伝えるとき、同じ景色を見せないといけないわけです。選手たちに語りかけるとき、コーチが見ているピッチ上の景色を選手も同様に見えているかどうかはとても大切なことです。しかし、多くの場合これができていないのだという。

 

日本人は文脈を見ないと本質は見えないのに、シーンを切り取って見ようとしてしまう傾向がある。

 同じ景色というのは言い換えれば、文脈をしっかりと選手たちに理解させているかということです。文脈の理解ができていなければ当然見える景色も異なるからです。

 

だからこそシーンではなく、ストーリーとして解釈できるようにしたい!

 

サッカーの本質を追求する旅はつづく…

 

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