"サッカーが巧い"とはどういうことかを、知らないサッカー経験者が増えたと感じることが多い。
ドリブルが巧いからといって、サッカーが巧いことにはならない。
リフティングが巧いからといってサッカーが巧いことにはならないわけだけども、見栄えの良さに捉われて本質が見えないということは多い。
インターネットの発達で切り取られた、文脈のないスーパープレーばかりがピックアップされ、バズるからだろうか。
「サッカーが巧い」を見る目が肥えた人が少ないと感じる。
元イタリア代表のフランチェスコ・トッティがフットサルで魅せたプレーをご覧いただきたい。このプレーにはサッカーの本質が詰まっている。
トッティが「サッカーが巧い」を体現した
On Francesco Totti’s birthday, a reminder of this classic futsal moment.
— Proper Football (@sid_lambert) September 27, 2019
When you come at the King, you best not miss...pic.twitter.com/Qjqxit8SiA
あっさりと相手に抜き去られたトッティ、ディフェンスは得意ではないからと追いかけることもせず、様子をみていたわけだが、マイボールになりそうなの瞬間にディフェンダーの位置を確認しスペースへ走り出す。そしてボールが来るまでにキーパーのポジションまで見てダイレクトでループシュート。
トッティは「サッカーが巧い」を体現したわけだが、では「サッカーが巧い」とはどういうことか言語化するのはとても難しい。
ただ、完璧な人間が存在しないように、完璧なサッカー選手は存在しない。トッティはそれを理解した上で表現しているのではないだろうか。
サッカーが巧い人は人間の本質を知っている。
そしてサッカーの本質とは人間の本質を知ることなしに語ることはできないのだと思う。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…