大人になってから学ぶサッカーの本質とは

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世界基準で当たり前のことが、日本の育成年代でできない理由

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毎年取材で訪れている東京国際ユース大会U-14

日本サッカーにとって、育成年代で世界レベルを体感できる貴重な機会。

毎年多くの気づきと学びがあります。

早速、今日大会を観て感じたことをまとめておきたいと思います。 

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個性を表現させる余地、選手の魅力を引き出そうとする指導者の器量の差

準決勝 チェルタノヴォ(モスクワ) 対 カイロ(エジプト)

予選で優勝候補筆頭のボカジュニアーズに敗れたものの得失点差で上回り準決勝進出を果たしたロシア、モスクワのチーム、チェルタノヴォ。

対するは毎年抜群の身体能力と独特のテクニックを魅せるエジプトのカイロ。

チェルタノヴォ(以降チェルタと表記)が先制後、カイロがボールを保持しながら押し込む展開が続く。

持ち前の身体能力と個性溢れる選手たちがチェルタのゴールに襲いかかる。

チェルタはしっかりと守備を硬めて、カウンターでチャンスを狙うわかりやすい構図だったのだけれど、チェルタ9番の才能がカイロに脅威を与え続けた。

この9番のドリブルがキレキレだった。まるでメッシ、ロシアだからアルシャビンと言った方が良いかもしれない。何度もカウンターから決定機を生み出していた。

この試合を観て感じたことをすぐにTwitterでメモ↓

日本の同年代のチームを見比べて感じるのは、体格の差や技術の差などよりも個性の差、表現力の差。これは育成指導に携わる大人のスタンスの差であり器量の差なのではないかと感じた。

そして、この記事の本題となる場面…

世界基準で当たり前のことが、日本の育成年代でできない理由

海外クラブ相手に結構やれたとか、どこが通用しなかったとかは結構表層的なことで。

ボール扱いが上手いとか、身体能力が高いとか、そんなことよりも。

戦術理解度の高さとか、そんなことよりも。

一点リードしている状況で、自分たちのベンチにボールが転がってきて、そのボールをどう扱うかっていうのは確実にその国のサッカー文化が反映される。

日本の育成年代でこれができない理由を考えてみると、やはり教育として、倫理的にNGなんだという共通認識がある。スポーツマンシップに反しているとか言われてしまいそうだ。

清く正しくあることが何よりも重要視される国、日本にサッカー文化を根付かせるのはなかなか難しい。

サッカーは感情表現のゲームであり、戦いなのである。

世界基準はもっと汚く、もっとエグい。

その前提が日本という島国にはないのだと思う。

サッカー文化を育んでいくには、まずここから…

 

サッカーの本質を追求する旅はつづく…

keikun028.hatenadiary.jp


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