大人になってから学ぶサッカーの本質とは

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ダンゴサッカーを我慢できない大人たち

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「うちらの学年は三年生だけど、まだダンゴサッカーになるわけよ。見栄えも悪いし、なんとかボールに子供たちが集まるのをやめさせたくて、ついつい怒鳴っちゃう。『トモは左さ行け』とか、『ジュンはそこで止まっとけ』とか、『ボールから離れろ』とかさ。でもね、真田さんはダンゴサッカーの大切さをせつせつと説くわけですよ。今は我慢をしろと。いつか子供たちにも、空間認知能力がついて、気がつくときがくるんだって。コーチが我慢しなくて、だれが我慢するんだって」

はらだみずきさんの「スパイクを買いに」からの引用です。

ダンゴサッカーを我慢できない大人へ

小学生の低学年のサッカーの試合などは、多くの場合ダンゴサッカーになります。

それが普通なのです。

しかし、こんなものはサッカーじゃない!と、大人たちは必死にポジショニングの概念を伝えようとします。

本能有意な子どもたちは、そんな大人の要望などよりも、ボールを蹴りたい欲求が勝ります。これに見かねた大人は、厳しく、強制的に指導という名の矯正を始めることになります。

「ボールに近づくな!」「ここで待っとけ!」「お前はここ!」「俺が行けって言うまで待っとけ!」と。

こうすることで、試合の時にダンゴサッカーになってしまう相手チームに対してアドバンテージを得ることができ、試合に勝利できるわけです。

その結果、そのチームの指導者はこう言うわけです。

「俺の言う通りにやれば勝てるだろ?」と。

これを見た親御さんたちは、「コーチの指導のおかげで勝つことができました。ありがとうございます!」と。

 

 

大切なものを奪っていることに気がつかねばならない

さて、こんな指導者がいるチームは目先の勝利を得ると同時に大切なものを奪ってしまっている可能性があるのですが、なんだかわかりますか?

まず一つは、子どもたちを矯正することで好奇心を奪っている可能性があること。

次に、子どもたちの主体性を奪っている可能性があること。

この二つはサッカーをする上でとてもとても大切な要素です。

サッカーは選手が主体的に判断し、プレーするものです。

どうやったら子どもたちが主体的にプレーできるようになるか?

それは好奇心を育んであげることしかないのです。どうやったら上手くなるか、どうやったら勝てるかを子どもたちが考えられるように仕向けるのが大人の役目なのではないでしょうか?

 

しかし、たくさんの少年サッカーチームを見てきましたが、大人が先回りして答えを用意して、子どもたちは正解するために必死で頑張る。こんな構図になっているわけです。

大人が決めたコンセプトの中で、大人の決めたプレースタイルの中で、大人に認められるために枠に上手くハマれるように頑張る子どもたちがいるわけです。

サッカーはクリエイティブなものであるはずなのに、創造性のかけらもないものになってしまっていると感じています。

 

ダンゴサッカーを解決するのは大人ではなく、子どもたちです。

大人が先回りして、子どもに教えてしまうことで奪ってしまうことに自覚的にならなければならないと思います。

 

サッカーで大切なことは、好奇心と主体性です。

これを育むことができれば、子どもは勝手に上手くなっていきます。

自分たちでダンゴサッカーをどう攻略するか、その戦略を子どもと一緒に考え、子どもたちが出した答えを尊重すること。

失敗を許容し、たくさんのトライアンドエラーを繰り返し、子ども自らが成功体験を重ねることが何より大切なのです。

ただ、時間がかかるんです。

大人は先回りせずに待つことが求められます。

待つことができない大人は良い指導者とは言えないでしょう。

大切なのは、信じて、待つことなのです。

 

サッカーの本質を追求する旅はつづく…

keikun028.hatenadiary.jp