「なんでシュートしないんだ!」では子供は育たない 宮澤 ミシェル 宝島社 2014-10-11 売り上げランキング : 569405
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サッカー解説者としてご活躍されている宮澤ミシェルさんの本をご紹介させていただきます。
タイトルが気になり購入して読んでみたら、本当に共感することが多く、それ以上に素晴らしい学びがありました。
日本のトップでご活躍された経験を持ち、サッカーを深く考察し、解説者として活躍する宮澤さんの言葉はサッカー文化を育んでいくためのヒントが散りばめられています。
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書籍の一部を抜粋してご紹介させていただきます。
子どもが思考停止してしまう理由
わたしはサッカーの仕事をしながら、同時に千葉県浦安市の教育委員会の仕事もしています。必然的に学校や子どもの問題に向き合うことも多いですが、そこで気になるのは、親が子供に干渉し過ぎているということです。
子どもの意思とは無関係に、いいとされるものを次から次へと際限なく与え、子どもが問題に直面すると、今度はすぐに解決してあげる。
こうなると子どもは自分で考えることをやめてしまします。考えることをやめるというのは、自分がなくなってしまうということ。
とても恐ろしいことです。
子どもたちは、とても素直です。
言葉づかいがきちっとしていて、はきはきと挨拶をしてくれます。
試合に出ていない子は、一生懸命、仲間の応援をしています。
試合中に揉め事を起こすような子は、ほとんど見かけません。
とてもいいことです。
でも本音を言うと、物足りないですね。
サッカーが好きなら、審判の判定にふて腐れてしまったり、シュートを外した味方に起こってしまったりというように、感情が爆発するのがむしろ自然だと思うのです。
少年時代のわたしは、いつも爆発しているようなものでした。
国籍がフランスだったため、どれだけ活躍しても地域の選抜チームに入れない。
その怒りを授業やサッカーにぶつけていたんです。
子どもたちに、淡々とサッカーをしている自覚はないでしょう。
でも実際にそうなってしまっているのは、親や指導者といった大人から何から何まで与えられたことで、感情を失っているからだと思います。
社会がマニュアル化する中で、本来、規則性から程遠いサッカーの指導までもがマニュアル化してきました。
この練習メニューが流行っている、このシステムが最先端だ、トラップはこうしなさい…。
本気で取り組む遊びであるはずのサッカーが詰め込み教育になってしまい、子どもたちが受け身になってしまっているのです。
礼儀正しいのはいいことですが、わたしの少年時代を思えば、ちょっと行き過ぎかな、と思うことが多々あります。
これは子どもたちが無意識のうちに、大人の期待に答えようとしているからだと思います。
幼い頃から、「ああしなさい」、「こうしなさい」と言われ続け、ちょっと踏み外すたびに「なんでできないのよ」と怒られていれば、子どもは自然と親の期待を先読みして賢く行動するようになります。
勝手に走り出したりしない。
服を汚したりしない。
自分のやりたいことを言い出さない。
手がかからなくて、いい子ですよね。
でもこれは、単に親にうるさく怒られないためにしているだけ。
子どもらしさが押しつぶされています。
家庭で親からああしなさい、こうしなさいと言われ、サッカースクールでも指導者からああしなさい、こうしなさいと言われていれば、自分で考えられる子どもは育ちません。
試合中に親や指導者の顔色ばかり伺うようになるでしょう。
そんな子どもらしくない賢さを、あなたはどう思いますか?
【参考書籍】「なんでシュートしないんだ!」では子供は育たない
サッカーが習い事になってしまっている。
やりたくてサッカーをやる子よりも、親にやらされてサッカーをやる子が多い。
サッカーの楽しさを伝え、子どもの好奇心を育み、主体性を引き出すことがコーチ、指導者の役目であるのだけれど、多くの現場では親の「需要」に応えるためのビジネスになりさがっている。
親の需要とは
多くの現場を見て回って感じるのは、サッカークラブ、スクールがショー化しているのではないか?ということです。
健全にサッカーを教えるコーチ、サッカーをちゃんと教わる子ども…
この光景が求められている。
クラブ、スクールはその需要に必死に答えようとしている。
私はこの関係性がとても不健全だと感じている。
それ故、安易にサッカーをビジネスにしてはいけないと思う。
サッカーの本質がないがしろにされてしまうからだ。
これはきっとサッカーだけではなく、あらゆるスポーツに共通する問題なのではないかと思う。
サッカークラブの数よりも、子どもが 自由に発想し創造できる“遊び場”が必要だと私は思う。
宮澤さんは大人が子どもに与えすぎている、過干渉だと言っています。
ありとあらゆるものが管理されすぎているのだと思います。
大人の顔色を伺うことなく、自由に好奇心が育まれ、発想するマインドを育てていかなければ本当の意味で子どもたちが自分で考えることができるようにならないのではないかと思うのです。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…