日本サッカーには特有の問題がある。罰走や体罰という理不尽な指 導、高校サッカーが引き起こす弊害、部活動問題などサッカー先進 国では考えられないような問題が日本には多く存在する。そんな「 鎖国」日本をアップデートさせることを志す1人の若者によって始 まった連載企画「日本サッカーを開国せよ」。
今回のテーマは「これからの日本における「観る」サッカー」
文:小谷野拓夢
○目次
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①近年のブーム
近年のサッカー界は戦術ブームと言われている。 ツイッターやfacebookを利用している人は分かると思うが 、 数年前に比べて明らかにサッカーのゲーム分析や戦術の議論が活発 にされている。つまり「観る」の多様化が進み始めた。
地元クラブが好きな人・ サッカーというスポーツが好きで試合を観る人・ 元々サッカーをやっていた人・高いレベルのサッカーが好きな人. ..あげたらキリがない。
オンラインの発達によって我々のニーズに合わせた「 観るサッカー」が供給されているのが現在だ。
そんな現在から未来はどんな変化が起こるだろか?
②これからの「観るサッカー」の予測
そんな現在から未来に向かって、どのように変化をするのか。 私はこれから、 合理化が進むサッカーを好む層とそれ以外の層に分離すると考える 。
私はサッカーコーチとして試合を観る。しかし、 よりレベルの高い試合から知識を得たいので、 ヨーロッパの試合を見る機会が圧倒的に多い。私は、 合理化が進むサッカーを好む層だ。
一方、私の祖母は根っからの地元Jクラブファンだ。 そんな祖母は、 サッカーが合理的になろうがそんなことは関係ない。 地元のクラブだからその試合を観るのだ。
この層の分離が進行すると私は考える。
もしそうなると、 合理的なサッカーを好む層はJリーグの試合を観るだろうか? 合理性だけを考えるなら、間違いなく海外サッカーを観ると思う。 つまり、オンラインによる視聴がメインになる。
それが文化になると、ある一定層からは「 サッカーは画面越しで観るもの」になる。
オンライン派とオフライン派が進むと、日本サッカーの「文化」 は異質なものになるはずだ。スタジアムに人はいなくても、 試合をみてる人がいる。
そんなことが当たり前になったとき、 サッカーの本質は失われてしまう気がする。
③おわりに
サッカーの本質とは何か?それを伝えるのは、 まさに指導者なのだ。 そんな我々が間違った本質を伝えてしまうとサッカーはおかしな方 向に向かってしまう。
本質とは何か?この問いに対し真摯に向き合い、 指導にあたる人が増えることを願う。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…