大人になってから学ぶサッカーの本質とは

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日本サッカーを開国せよ vol.8|右を向けと言われたら、右を向く選手

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日本サッカーには特有の問題がある。罰走や体罰という理不尽な指導、高校サッカーが引き起こす弊害、部活動問題などサッカー先進国では考えられないような問題が日本には多く存在する。そんな「鎖国」日本をアップデートさせることを志す1人の若者によって始まった連載企画「日本サッカーを開国せよ」。

今回のテーマは「右を向けと言われたら、右を向く選手」

文:小谷野拓夢

〇目次

 

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①はじめに

実は先日、高校時代のサッカー部の先輩がやっているネットラジオに出演した。そこであることが話題になった。
それは「成長する選手って与えられたことをただやるんじゃなくて、どのうような意味があるのか考えることができるよね。」ということ。

例えば、これは挨拶やルールもそうだ。意味のないような風習でもほとんどの選手がなにも思わずに実行する。しかし、それに対し「何の意味があるの?」と思える人間は成長する。ということを話していた。

今回は当たり前になっていて気づかないような問題点に注目していきたい。

 

②監督の指示に従順な選手たち

以前から何度も言っていることだが、日本には根性論や非科学的なサッカー指導が蔓延している。そのようなことに「おかしい」と思う人は少なくないはずだ。しかし、現状が変わらないのは「空気を読む」からだろう。だから罰走と言われれば、素直に走る。連帯責任で坊主と言われれば、

翌日には頭を丸めてくる。

それはプレーにも反映する。「〇〇をしろ」と言われると、そのプレーの意味を考えない。それを続けていると、まるで機械のような選手が生まれる。これが日本人が「技術はあるが、サッカーは下手」と言われる所以だと思っている。与えられたことをただやるだけ。たとえそれが間違っていても。

スペインにてサッカーコーチングライセンスを取得した方にあることを聞いた。「もしスペイン人の子どもに、罰走などを指示したらどうなりますか?」と。すると「おそらく、なぜやらないといけないんだ?と返ってくると思うよ」と言われた。サッカーが上手い理由はそこにあるのかもしれない。

そもそもなぜ機械のような従順な選手が生まれるのか。私は日本の教育に問題があると思っている。

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③日本の教育がもたらす影響

本の学校で教わる勉強のほとんどに「答え」があることに私は疑問を抱いている。ここで一つ例を出そう。先日Twitterでこんなことが流れてきた。算数の問題だった。「4/6-1/6」の問題に対し「3/6=1/2」と答えたら間違いになったという内容だった。実際は間違いではないが、この子の授業ではまだ約分を習っていなかったため不正解となったらしい。まさに教科書通りにやらないと、間違いとされるいい例だ。

これは一例に過ぎないが、教科書という型にはめられた人間に育つように教育されるのが日本の教育のほとんどだ。

答えが決まっているということがいけないというわけではない。ただそれだけになってはいけない。なぜなら社会およびサッカーでは「正解・正解に向けたプロセスに答えがない」からだ。
サッカーでゴールを決めるのに答えはない。決めるためのプロセスは最終的に自分で決断するしかない。自分の人生に正解はない。自分で決めるしかない。

しかし、日本の教育は「台本通り」に行動するように育てらる。その結果、指示通りに動くことはできるが、指示がないと動けない人間が育つ。サッカーが上手くならない理由は教育も影響していると考える。

 

④まとめ

今回は日本サッカーには従順な選手が多いという問題をあげ、その原因が教育にあるのではないかということについて述べた。

果たして自分たちがしていることにどのような意味があるのか。選手にはそれを常に考えながら過ごしてほしい。そして周りにいる大人は子どもに台本を作ってはいけない。子どもとともに台本を作るように育てるべきだと私は思う。

 

サッカーの本質を追求する旅はつづく…

keikun028.hatenadiary.jp

 

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