大人になってから学ぶサッカーの本質とは

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最先端の指導理論を学ぶことより大切なことがある

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Photo by kenji onose

日本サッカーが強くなるために多くの方々が一生懸命学んでいるのだと思います。

最先端の指導理論を学びに海外へ行ったり、多くの参考書籍を読んでみたりと、SNSのタイムラインを見ていると、「今学ぶべきこと。読むべき本」をたくさんご紹介されている方々がおります。

私は勉強熱心で素晴らしいと思うと同時に、ちょっとした危機感を覚えます。

 

以前、とあるジュニアのサッカー大会を見ていた時、友人の指導者から強いと評判のクラブのコーチを紹介してもらい話を聞きました。

サッカーを伝える上で大切にしていることは何ですか?

という質問にこう答えられました。

「世界で一番強いスペインの指導メソッドを勉強して、徹底的に子供達に伝えています。戦術的なことは特に徹底して教えていますね。」

なるほどと思いました。

そのコーチが子供たちへどのような伝え方をしているのかじっくりと見ていました。

すると、このようなコーチングを繰り返していました。

「◯◯がボールを持った時は、ここにいるのが正解。あと半歩後ろ。ボールが来たら◯◯と◯◯を見て出せる方を選べ。」

う〜ん。なるほどと思いました。

戦術には答えがある。それはある程度わかりますが、正解を教えるコーチングには同意できないなと思いました。※なぜそれが正解なのかを考えさせることができれば有意義だと思います。しかし、その意図があればあのような伝え方はしないでしょう。

何をどのように伝えるかが大切

もう一つ、プレーする子どもたちはとても機械的で身体能力に頼っていたのです。

まだ10歳にも満たない子どもたち…

私は目の前の選手個々のノビシロを理解した上で、何をどのように伝えるかを大切にしなければいけないなと強烈に感じました。

 

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つい先日、名古屋グランパスをJ1昇格へ導いた風間監督。

その風間監督の育成に関する考え方は今の日本サッカーにとって、とても大切なメッセージが詰まっています。

 

風間監督の著書より一部抜粋してご紹介させていただきます。

最先端の指導理論を学ぶより大切なことがある

風間さんが現役引退後にドイツへ行ってチームの指導現場を見学した際に感じたこと。

監督よりも選手のほうを見たほうが、はるかに多くの気づきがありました。大事なのは監督が何を言っているかではなく、選手にどう伝わっているか。いくら良いことを言っても、面白い練習メニューをやっていたとしても、選手が本気になっていなければ何の意味もありません

良い練習をしているなと感じたチームは、選手が本気になってサッカーに向き合っていました。監督の言葉を選手たちは聞いているし、どうやって表現しようとするかを考える。だから、特別なメニューをやらなくても特別な練習になっているのです。自分がもしも教えるなら、こういう風にしたいなと感じました。

どんなに最先端の指導理論を学んだとしても、ピッチの上でプレーするのは選手です。そのためには選手たちを、しっかり見る。それをしないで、表面的な話を聞いても仕方がありません。それは〝学んだつもり〟になっているだけです。

目の前にいる選手を、どうすればうまくさせられるか。どんな言葉を使えば、伝えることができるか。いつも試行錯誤してきました。そうやって自分の指導スタイルをつくり上げてきたのです。

【参考書籍】

最先端の指導理論を学ぶことなどより大切なことがあるのです。

指導者自身が選手たちから感じて、考えることをやめてしまってはいけないのです。

指導理論を学ぶことを否定しているのではありません。

それをどのように落とし込み、どのように応用するかが指導者に問われているのだと思います。 

 

プレーする選手たちの表現力が大事であるならば、指導者はそれを引き出す言葉の表現力が問われるのだと思います 

言葉選び一つの違いで、子ども達への伝わり方はまるで変わってきてしまう。 僕ら指導者、つまり「人に何かを伝える」立場にある者は、言葉選びが最も重要な要素ではないか。もちろんそれで失敗することのほうが、圧倒的に多いのだけれど。 最近の話をすれば 「奪いに行け」 と言ってもなかなか行けず、相手との間合いを詰められず もしくは 相手の状態も見ずにただただ突っ込んであっさりかわされてしまうケースが多いのだけど でも 「邪魔しに行け」 って言うとなぜか途端に出足が早くなり、相手が嫌がる間合いまで激しく詰めて、なおかつ、簡単に抜かれない最強の「邪魔な位置」に行けて、結果、ほぼ奪える。 「奪う」ってことはボールを奪うことしか目的がないけど 「邪魔する」ってことは、目的が奪うだけにとどまらず、多岐に渡ってくる。 自分でサジ加減を図れるからこそしなやかに動けるし、自分だけの間合いを見つけられるのかなって。 これはひょっとしたら、眠っていた野生動物の本能の部分なのではないか。 そんな動物的本能を探り起こす言葉がきっとあるのかもしれない。最近そう実感しているのです。 あと最近よく使うのは「遊び半分」てワード。 遊び半分。スポ根な人からしてみたらこの言葉はネガティブな響きに感じる人も多いかもしれない。「遊び半分でやってんじゃねぇよ!」的な。 けれど、サッカーって元々は遊びなはず。もちろん必死にやらなきゃいけないところもあるからこそ、この「遊び半分」て言葉は、サッカーやるには実に適した、いい言葉だなって思ってます。 遊び半分でやれ。ダラけ半分やふざけ半分では困るけど、遊び半分なら最強だぜって。

本能を探り起こす言葉があるのかもしれない - Daisuke Kubota 〜 Neutral football

neutralfootball.hatenablog.com

 

サッカーの本質を追求する旅はつづく…

 

keikun028.hatenadiary.jp