読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

大人になってから学ぶサッカーの本質とは

日本にいながら外国人リーグでプレーする私の目から見るサッカーの本質とは… 元サッカー選手、元サッカーコーチ、中南米放浪サッカー経験者として好き勝手語らせて頂きやす

スポンサードリンク

 

「空気を読んではいけない」の著者、青木真也の言葉が若者を救う

follow us in feedly

 青木真也という格闘家の本を読んだ。

常識にとらわれない青木真也という男の生き様と人生のスタンスが描かれている。それと同時に現代に生きる日本人へ向けて強烈なメッセージが込められている。

とりわけこの本は若者に読んで欲しいと強く思う。

サッカー選手を目指す若者たち、サッカーだけでなく、あらゆる分野で高みを目指す若者にとって現状を打破するきっかけを与えてくれる本だ。

社会に適応できずに苦しんでいる人たちにも是非読んでもらいたい。

 

この本の一部を引用してご紹介させて頂きます。

 

人間はひとりひとり異る生き物、それが普通

人はそれぞれ考え方が違う。無理して仲良くする必要なんかない。僕は、自分と価値観が違う人に対しては「お前はそれでいい」と思う。自分の考えを押し付けることはしない。一方で、「俺もこれでいい」と考える。簡単に言えば、相手の価値観を尊重するが、僕の領域にも入ってくるな、それぞれ勝手に生きようということだ。

友達に合わせることで、自分の個性がなくなってしまうのであれば、誰とも仲良くしないことが一番良い。

 日本社会で生活していると、まわりと無理して仲良くすることや価値観を無理に合わせなければならない空気になることが頻繁にある。同調圧力と呼ばれるものだ。

私はこれが”息苦しさ”の原因だと思っている。そして往々にして指導者や先生と呼ばれる人たちはこの事に無頓着である。だからこそ、自分の価値観を大切にすることは生きていく上で重要だ。人と違うのが普通。無理に人と同じにすることは不自然。

 

人と違うことに勝機はある

青木真也さんの父親はこんなことをよく言っていたそうだ。

「なんでみんなと一緒にやるんだ。何かやるときは一人でやれ」

それに親父は、「みんなでやるとバレてしまう。悪いことをするときは、一人でやれ」という表現もした。

みんなと同じやり方で練習をこなしても、伸びしろなんてたかが知れている。誰もやっていない技を、人知れず突き詰めるからこそ、予想できない進化をするのだ。同じ熱量、同じ方法では差はつかない。たった一人で温め続けた企みが、やがて結果として表に出てくると思っている。

 まるでサッカーの優秀な指導者の言葉のようだ。サッカーだけじゃなく、あらゆることに言えることだ。人と違うやり方で、自分のスタイルを見出していく。人の何倍もの熱量でトレーニングすることで凡人から抜け出すことができる。

 

凡人は群れてはいけない

自分の能力が劣っている以上、他の部員と仲良く群れていたら、レギュラーになれないのは明らかだ。僕が群れてしまっては、レギュラーとの差は一生縮まらない。

「このまま普通のことをやっていても絶対に勝てない」「周りと同じことをやっていたらダメだ」と考えながら毎日練習をしていた。

新しい技をつくり出せたら、勝負に勝つことができる。誰も見たことのない技には、対応策がないからだ。

みんなが見ないところに着目し、行かないところに進む。周りと違うことをすることに、恥ずかしさや照れという感情はなかった。

 自分の頭で考えること、人と違うチャレンジをすること、自分らしさを突き詰めること、勝つために想像し創造すること。

スポンサードリンク

 

 

寛容な人間が人間を育てる

静岡学園に進学した青木真也さんはそこで素晴らしい先生に出会う。

強豪ながらノビノビとした雰囲気を持つ静岡学園の柔道部は、僕にはピッタリだった。

正統派の技を矯正されることもなかった。好きに稽古をして、実践を通じスタイルを練り上げることができたのは、今でも自分の財産になっている。顧問の先生は「留置場も3日泊まれば出してくれる」というようなタイプで、当時50歳くらい、バンカラ気質で、器の大きさを身をもって感じることもあった。

自分のスタイルを貫く上で、「俺がケツを拭いておくから」と構えてくれていた先生の存在は大きかった。同調圧力に負けず。「なんだ」に惑わされず生きていく上で、自分の個性を殺さずにコントロールしてくれる人との出会いは大切だ。 

教育や指導ではなく、選手の魅力を引き出せる人こそが真の指導者なのだと思う。

 

 強制や強要に負けてはならない

僕は最低限のルールは守るが、今でも上下関係や伝統といった明文化されていないような掟を理由に、無条件で屈服を強要してくる相手に対して、いつでも刺し違える覚悟でいる。勝つならば負ける覚悟。刺すならば刺される覚悟。折るなら折られる覚悟。総合格闘技の試合でも、両極の覚悟を持たない選手は、相手として怖くない。殺す気迫とともに、殺される恐怖を持て。

自分の決断を最優先にする考えは、試合中でも変わらない。試合ではリング脇にいるセコンドから様々な指示が飛ぶ。試合全体を冷静に見渡せるから、セコンドの意見は貴重だ。しかし、僕はあくまでも自分の感覚を大切にしている。 

優位なポジションを奪い、セコンドから「行け」という声聞こえても、自分が「いやステイだ」と思えば、勝負をかけずに相手の出方を探る場合も少なくない。

ベンチから監督が「行け」と言っても、行くか行かないかを決めるのは自分次第!そういうことだ。最終的には自分が決断すれば良い。それで失敗なら自分で責任を負う。それだけだ。サッカーでも仕事でも同じです。外部からの圧力に屈してはならない。

 自分で自分のスタイルをつくること

トレンドに乗らなかったり、自分の考えを押し通すことについて、「不安に思わないのか」と聞かれることもある。みんなと同じことをやっていれば、大失敗することもないという思いからくる質問だろうが、僕は格闘技の一番の面白さは「自分で自分の形をつくるところ」という考えを持っている。

自分の好きでやっているのだから、すべての決断と結果を自分で引き受けたい。引退するときに後悔をしないためにも、あらゆる判断を他人に委ねることはない。

 一番の面白さは、自分で自分の形をつくるところだって青木さんは言っている。

これはサッカーでもそうだし、人生も同じことが言える。

自分のプレースタイルは自分でつくること、それほど面白いことはないんです。

自分のライフスタイルは自分でつくること、それほど楽しいことはないんです。

でも、これを実践するのがとても難しいのが日本社会だ。

人と違う個性を認めない。社会や常識に無理やり適応させようとする空気が充満している。それが同調圧力を生み多くの人を自殺に追いやり、精神病患者が大量生産されているのではないかと私は思う。

もっと自分を信じて良い。自分が考えたこと、感じたことに忠実であって良いと思う。

こんな世の中だからこそ、青木真也という異質な格闘家の言葉が刺さるのだと思う。

 

 

サッカーの本質を追求する旅はつづく…