大人になってから学ぶサッカーの本質とは

日本にいながら外国人リーグでプレーする私の目から見るサッカーの本質とは… 元サッカー選手、元サッカーコーチ、中南米放浪サッカー経験者として好き勝手語らせて頂きやす

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サッカーを教えるということ

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私はサッカーの本質とはなんなのか、サッカーを教えることの本質とはなんなのかをここ数年間考え続けてきました。

なぜ、これを考えることの必要性を感じたかというと、本気でプロサッカー選手を目指し戦ってきた中で感じた多くの環境的要因(身体を壊すような無駄なトレーニング、無知な指導者)に疑問を感じたこと。

そして、サッカーコーチ時代に感じた信じられないほど酷い育成指導の現場を目の当たりにしてきたこと。

日本を出国し、海外で生活し感じた日本という国の違和感。

本当に大切なことはなんだろうかと考えなきゃいけないと強烈に感じたんです。

形式やメソッドに支配されて子供と向き合えない指導者が巷に溢れている。

教える側と教わる側の設定のみを重要視する親御さんたち。

指導者、つまり大人と呼ばれている人にサッカーの本質、いや物事の本質をみる目が圧倒的に欠けていると私は強烈に思ったんです。だから私は書かなきゃいけないと思ったんです。それがこのブログを立ち上げたきっかけです。

 

インサイドキックの蹴り方とかシュートの打ち方とかを一生懸命教えている若いコーチがいて、それを外から輝く目で見ているママさんたち。そんな風景を微笑ましく思えない私はただのひねくれ者なのかもしれない。 ちゃんと”教えてくれる人”と”しっかり教わる子供”。その設定だけが健全のようにみえるけれども、そこに真実はない。市場で求められているのは、誰もが健全だと思える光景だけで、中身なんて空っぽの場合が多い。

サッカーとは”絵”を描くことである - 大人になってから学ぶサッカーの本質とは

人生は自分で見て、感じて、考えて、プレーすること

自分の中で絶対的に間違っていると思うことが、日常のいたるところで平然と行われている日本のサッカー現場。社会に出て働くようになってからも感じることは同じでした。形式やメソッドに支配されている日本社会、ビジネスの現場の多くも同じです。無駄な会議、無駄な接待、誰かを幸せにするためにサービスを提供しあうという本質はないがしろにされ、意味のない駆け引きばかりが発生している。そしてそれを当たり前のことのように受け入れてしまう人たち。その文脈に辟易する。

 

私は本当に大切なことはなんだろうか。ということを子供たちに考えてほしい。

いや、考えられるようにならなきゃいけないと思います。

主体的に人生を生きること。自立して行動を起こすこと。

それらはサッカーをする為のベースになるものです。

自分で見て、感じて、考えて、プレーする。

ちゃんとサッカーを教えるということは、こういうことなんです。

大人が子供を見て、感じて、考えて、伝える。

リフティングが1000回できるようにさせることでもなく、ヒールリフトやシャペウで相手を抜くことができるようにさせることでもない。

大切なのはサッカーの本質を伝えることであり、プレーする喜びを教えてあげることなんです。

 

指導の本質とは

ツイッターでとある指導者の方が言いました。

 

サッカーを教える人は文化を育む人なのだと思う。

”教える”ではなく”感じさせる”こと、”教える”ではなく”引き出す”こと。

人間の根源的な喜びを表現すること、人と人のぬくもりを、想いを、一つのボールで繋げることができると私は信じています。

幸いにも私の周りには素敵な指導者の方が沢山いる。

それでも相対的にはごく一部だろう。もっと分母を増やさなきゃいけない。

サッカーの文化を育むために。

 

誤解を恐れずに偉そうなことを言ってしまうと、サッカーの指導者という肩書を持つ人は沢山いても、サッカーを教えている人はほとんどいないと思う。

ライセンスを持っていることよりも、サッカーの本質を、教育の本質を理解することの方が圧倒的に大事だと私は思います。

大人の意識が変わらなきゃいけないのだと思う。

私自身も学び続けなきゃいけないと思う。

本当に大切なことを見失わないために。

 

サッカーの本質を追求する旅はつづく…

 

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