「答え」より「問い」
何をしてもいいし、何を見てもいい。何に触れてもいいし、何を耳にしてもいい。何かをしてもいいし、同時に、何もしなくてもいい。多分、幸せとは「なる」ものではなく「ある」ものだ。自分の外側にあるものを探し出すことではなく、ただ、自分の内側にあるものを思い出そうとすることだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) March 13, 2016
私達は、多分、何かしらの『答え』を求めて本や映画などの作品を手に取る。しかし、その作品が良質であれば良質であるほどに、読み手に対して答えではない『問い』を突きつける。それは「お前はどう生きるか」という鮮烈な問いであり、読み手が真摯に『応えた』時、はじめて作品は完成する。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) March 14, 2016
世の中は「ノウハウ」に溢れている。「〜になる方法」や「〜で成功する方法」なるものが大量にある。本屋に行けば社会で成功するための本。とか、あるいは簡単にサッカーが上手くなる本。簡単に稼げる本。簡単にダイエットできる本。簡単に頭が良くなる本。多くの人がそういうものを読み漁っている。
手軽になにかが手に入るという錯覚が自分自身を見失わせてしまう。
簡単に手に入るなにかしらの「結果」、「答え」を期待してしまう。
本当に大切なのは「答え」を探すことではなく、自分自身に「問い」を見出し、それにどう「応えるか」ということなのだと思う。
自分を好きになること
紀里谷:ハウトゥーなんて意味ないですよ。
本屋に行ったらハウトゥー本がいっぱいありますよね。楽をして痩せる方法、楽をして大学突破、楽をしてお金持ちになる方法。
それが機能していたら、ダイエットできるし、大学にも入れるし、みなさんお金持ちになれますよね。そもそも本当に痩せたいんですか。なんで痩せたいんですか。なんでお金持ちになりたいんですか。いくら必要なんですか。「金はないよりあったほうがいい」ではだめなんです。
だから、20代の時はなんとなく起業してうまくいかなかった。
そうじゃなくて「やる」。やらなくても、自分を好きになれるかどうかですよね。 みんな人から認められることによって、自分を肯定できるかもしれないと思っている。 認められた、有名になった、お金持ちになった自分を見て「俺イケてるじゃん」と言いたいだけなんですよ。
そんなことよりも、鏡に映っている自分はなんなのか。 それがどういうものなのか、考えていかないと。 どんなにお金持ちでも、自分のことが嫌いな人はいっぱいいますよ。 そうじゃなくて自分を好きにならなければいけないんですよね。
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自分は「探す」ものではなく「掘る」もの
いくら自分を探したって自分はみつからない。「自分を探す旅」という言葉があるけれども、旅をしてみつけるのは「自分」ではなく「自分以外の世界」でしかない。それを見て感じて、自分はなにがしたいのかを「考えるきっかけ」を見つけることしかできない。結局、自分は探すものではなく「掘る」ことでしか自分自身をみつけることはできなかった。そして最も大事なのは好奇心に従って「やってみる」ことだ。
「やってみる」「行動してみる」ことでしか自分のやりたいことなど見つからない。面白そうだと思うことをやってみる。自分が「いいね」と感じることをやってみる。この連続でしか自分をつくることはできないと思う。これはサッカーも人生も同じだ。
「生きててよかったと思える瞬間」
自分の行動が正しいかどうかなんて考える必要はない。直感に従ってやってみる。何度失敗してもいい。何度でもやり直せばいい。社会に適応すること、社会に認められることを考える前に自分に適応することが大切だ。これができないと息苦しさは拭えない。自分の「芯」をつくること。自分の「在り方」をつくること。自分が「やりたいこと」をつくること。その「やりたいこと」が「得意なこと」になり、「得意なこと」が「誰かの役に立つこと」になってはじめて「生き甲斐」になるのだと思う。「生き甲斐」とはつまり「生きててよかったと思える瞬間」だ。その瞬間が多ければ多いほど「幸せ」になれるのだと思う。
だからこそ私は今日も私自身をつくり続ける。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
帯にある「コーチングの第一人者による異色の仕事論」にある通りの異色の仕事論。 その視点は戦後昭和〜平成に続くサラリーマン的仕事観の世界が終わりを迎えた現代の様相にマッチしている。 仕事論的な読み物はある種の成功した経営者視点、もしくは成功した経営者を分析した視点で書かれてきたのがほとんど。 わかりやすくいうと「こんなに成功したのは、こんな心がけをしていたからだよ、だから、みんなも成功したければば是非参考にしてね!」というストーリー。それが長い間のスタンダードだったと思う。 本著の仕事論が異色なのは、あくまでも「個人の人生の意味・個人の在り方」に着目して仕事論を展開しているところ。 そこにヴィクトール・E・フランクルが問うてきた「人生が意味を問う」視点を感じる。 グローバル化する21世紀の成熟社会に向けてデザインされた古くて新しい価値観を提供する実践の書と言えよう。