生きているというということそのものが『旅』
毎日が出発で、毎日がゴールだ。画一的な日々を過ごしていると、どうしても、生きているということそのものが『旅』であるということを忘れてしまう。車が走っているということ、風が吹いているということ、花が咲くということ、太陽が登るということ、自分は地球に暮らしているということ、そして、この瞬間も宇宙の真っ只中で浮かんでいるのだということ、生きているということ、当たり前に見えることのすべてが、本当は、とんでもない奇跡の上に成立しているということを忘れてしまう。
私は坂爪さんの生き方、在り方にとても共感する。
仕事を投げ出して坂爪さんに会いに行ってからもう1年が経つ。本当にあっという間に時は流れる。あれから日々積み重ねてきたものが自分を突き動かしている。
自問自答の日々のなかで、いろんなものと折り合いをつけながら、ぶつかっては倒されて弱さと向き合いながら… でも誰になんと言われても自分の心が向かう方向には抗えない感覚があって… 進め、生きろって内側の叫び声に生かされてる。自分の心の声に忠実でありたい。そして大切な人にもそう在ってほしい。
心で語れ
2月にお会いしたヴァンフォーレ田畑さんのコラムより
選手達のサッカーノートを読んでいても、表面的に綺麗な文章より、心で書いている選手のノートは、私の心を豊かにしてくれます。 思わず笑顔が溢れてしまいます。 こころのセンサーはどんな高精度機械センサーよりも優れています。 いくら素晴らしい言葉を並べても、その人の心を感知します。 心で語っているかどうかは簡単に見破られてしまいます。 これから更なる道を歩き出す君達には、様々な素晴らしい出会いが待っています。 心で考えた行動ができれば、心で語れる友達と巡り会えることでしょう。 本気で何かに打ち込めば、本気で語れる友達と巡り会えることでしょう。 人生を本気に、豊かに楽しむスタートラインの岐路に立っている君達は本当に幸せなのです。 こころで自身の人生を語れるような一歩を踏み出して欲しいと願っています。
自分の心で語れる人を育てる。その子の”心”や”想い”がピッチでの表現を生む。心で語れる選手は、ピッチの上でも心で表現できる。頭で考えてばかりいたら大切なことを失ってしまう。先生やお父さんお母さんの求める答えを探すのが上手い子はたくさんいるけれど、自分の心が出す答えを表現できる子は少ない。勉強ができる子よりも、サッカー上手い子よりも、”想い”を表現できる子が見たいと思う。
自分の直感を信じて進むしかない。サッカーと同じ。誰になんと言われようと、自分の心が向かう方向には抗えない感覚がある。進め!生きろ!って内側の叫び声に生かされてる。
— KEI 整える。研ぎ澄ませる3月 (@Keivivito) March 12, 2016
自分の人生を生きる
自分の人生を歩まない大人の末路は悲惨です。内なる声を無視し続け、他人の価値観を生きるとどうなるのでしょう。すると、やがて他人との比較でしか自分を定義できなくなってしまいます。そうなると、人間は「他人の人生の粗探しモード」に入ってしまいます。こうなってしまうともう本当に取り返しがつきません。そういう大人が沢山います
これは私たち大人が心がけなければならないと思う。
物事の明るい側面を見るためには、多分、ひとりきりになれる静かな時間が必要になる。尊敬する人の言葉ではなく、愛する人との時間でもなく、自分の内側から湧き上がる声に耳をすませば、いま、この状態も「捨てたものではない」ということがわかる。 pic.twitter.com/lxlNbHpq9Z
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月10日
相手を傷つける言葉を使った瞬間に、自分の心を同時に傷つけている。目の前にいる人間を愛するようにつとめることは、同時に自分を愛することにも繋がる。自分の心を開けば世界も開くし、自分が閉じると世界も閉じる。この世の中は、多分、自分が投げたものが返ってくるように作られている。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年3月11日
サッカーの本質を追求する旅は続く…
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