すべての人がアーティストである
わたしたちが暮らしたい世の中、それはすべての人が詩人である、ひとりひとりがアーティストである、そんな社会です。あるインドの偉大な芸術家は、こういっています。アーティストというのは特別な種類の人間ではない。すべての人が特別なアーティストなのだ、と。現代社会はわたしたちから、詩を、音楽を、芸術を、美術を奪い去ってしまったのです。なぜならわたしたちには時間が残っていないからです。わたしたちは大きな機械だとか、テレビや、便利さといわれるものに取り囲まれて、それに忙しくて芸術家であることができなくなってしまっているのです。
サッカーはアートであり、サッカー選手はアーティストなのだと思う
サティシュ・クマール氏の言葉はサッカーに置き換えても有用だ。特別な種類の人間がピッチで良い表現ができるのではなく、すべての人が特別な”なにか”をもっているのだと思う。外側の情報に惑わされてはいけないのだ。もっと自分が表現したいことを追求しなければならない。サッカーは想像し創造することでアートとなる。アートとして形作られるもの、表現されるものは人間の内にある”想い”、”想念”から生まれるのだと思う。
だからこそ、自分の外側の情報よりも自分の内側にアクセスしなければならないのだと思う。自分が感じたことを、考えたことをもっと大切にしなければならない。これは私自身にも日々言い続けていることだ。
自分を知ることは他人を知ることでもある
他人の気持ちがわからない人というのは、きっと自分のことがわかっていないのだと思う。自分の心が傷つく経験をしたことがある人は、誰かが傷ついている様をみると苦しみを共有できる。自分が心地よい感覚、心地よくない感覚を知らない人間は、他の誰かの感覚も想像することはできないし尊重することもできないのだと思う。
サッカーは自分のことをしっかりと理解することが求められる。それはつまり他人を理解することでもあり尊重することでもある。
自分の心地よい感覚と仲間の心地よい感覚が調和したときにサッカーは芸術になる。
オシムさんの言葉
この世で最も美しい生物である人間の営みとしてのサッカー。そういうポジティブな世界観をもって、サッカーという人間の芸術活動に取り組む若者を育んで欲しいのです
サッカーというものは紙に書いてすべてを説明できるものではない。いろいろな情報やビジョン、アイデアがあり、それらが全部混ざって成り立っているものだ
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
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