大人になってから学ぶサッカーの本質とは

日本にいながら外国人リーグでプレーする私の目から見るサッカーの本質とは… 元サッカー選手、元サッカーコーチ、中南米放浪サッカー経験者として好き勝手語らせて頂きやす

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サッカーを教えるということは旅をさせることである 

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 「冒険を恐れる若者なんて、死んだ方がましだぜ」

この言葉は私が学生時代に日本を放浪していた時、船の中で読んだこの本に記されていた。

 

当時、私は少年サッカーの現場に携わり疲弊していた。

試合をしに外にいくと必ず存在する大人たちの言葉の暴力に、振る舞いに辟易し、愛するサッカーを冒涜された気分になり、子供たちの感性や創造力を殺している大人たちの姿に心底嫌気がさしていた。

そして旅に出た。

私は自分の信じることを貫きたい。世間的に間違っていようが批判されようが、自分の心が正解を出したものに対して忠実でありたい。子供たちの未来を創ることが大切なんだという想いは強く持たなければならない。そう思っていた。

しかし、多くの子供達が目の前で大人のエゴによる強制や矯正によって、大切な未来を奪われている光景を目にし続けると心が壊れそうになる。

 

自分を心をチューニングする必要があった。

自分自身がサッカーを楽しむ時間が必要だった。

いまこの一瞬を考えるよりも感じる時間が必要だった。

だから旅に出た。

 

 

「冒険を恐れる若者なんて死んだ方がましだぜ」

私は子供に旅をさせることのできない人間にはなりたくない。

旅は世界を感じるということであり、感じることの大切さを知ることである。

奇跡のような景色を見て感じることがある。

奇跡のような出逢いが自分を醸成する。

サッカーと同じだ。

自分の表現は自分の内から生まれる。外から誰かにこうしなさいと習うものではない。

旅をすること。

それは世界を自分の全身で感じることであり、自分の内側を育む。

サッカーも同じなのである。

教えるということ。

それは自分の感覚と感性に忠実でありなさいと伝えること。

いや伝わることだ。

 

 

サッカーを教えるということは旅をさせることである

”可愛い子には旅をさせろ”という言葉がある。

旅とは世界に自分を委ねるということだ。
これは言い換えれば、世界を感じてこい。ということであり、感じたことの大切さを知れ。ということだ。
サッカーと同じなのである。サッカーは感じたことを表現することがなにより大切なのである。


自分の感覚を。感情を。想いを。気持ちを。解放することが大事なのである。
多くの大人がルールや形式ばかりをリスペクトし、人をリスペクトしていない。

子供の心をリスペクトしていない。そんな光景に溢れている。

 

 

”少年よ大志を抱け”という言葉が私は好きだ。

 

Boys, be ambitious.
Be ambitious not for money
or for selfish aggrandizement,
not for that evanescent thing
which men call fame.

Be ambitious for the attainment 
of all that a man ought to be.

少年よ 大志を抱け!
お金のためではなく
私欲のためでもなく
名声という空虚な志のためでもなく
人はいかにあるべきか、その道を全うするために、大志を抱け

(ウィリアム・スミス・クラーク)

 旅をさせよ。

 

サッカーの本質を追求する旅はつづく…

 

keikun028.hatenadiary.jp

 

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