大人になってから学ぶサッカーの本質とは

日本にいながら外国人リーグでプレーする私の目から見るサッカーの本質とは… 元サッカー選手、元サッカーコーチ、中南米放浪サッカー経験者として好き勝手語らせて頂きやす

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自由を制限しているのは当たり前だと思い込んでいる思考にある 〜サッカーは全体でひとつなのである〜

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本当に大切なことは言葉で表現できない

私は感じたことを言葉で思い通りに表現できたことがない。こうして毎日感じたことをどうにか表現しようと一生懸命考えて書いているのだけれど、自分の感じたことを言葉だけで表現することはできていない。本質を伝えたいと思えば思うほど、出てくる言葉は抽象的なものになる。

美しさ

柔らかさ

立ち姿

雰囲気

そういった表現しか思い浮かばないのである。

これ以上具体的な表現は読む人の想像を奪ってしまう。そうなってしまったら意味がない。

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自由を制限しているのは当たり前だと思い込んでいる思考にある

ボールを蹴る時、足で蹴るのではなく身体で蹴るという感覚が重要なのであるという本質に近づいたと思っていたのだけれども、もしかすると”蹴る”という表現自体が自由を制限しているのかもしれないと思う時がある。”ボールを蹴れ”と教えることをやめればもっと発想が自由になる気がする。足のどこに当ててもしっかりと思い通りにコントロールできればいいのだ。

 

 

ドリブルという表現もやめてしまっても良いと思う。ドリブルとはつまり”ボールを運ぶ”ということだ。”上手くドリブルしろ”と言うよりも、本質的なのは”上手くボールを運べ”ということなのである。なんというか”ドリブル”という言葉よりも”ボールを運ぶ”と言う方が自由度が高い。常識的な概念に捉われてしまっては本質にたどり着かないのだと思う。

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サッカーは全体でひとつ

最近感じることがある。本当に良いプレー、美しいプレーというのは”流れている”と思う。サッカーは足だけでやるのではなく、呼吸をするように身体の全てで表現することが大切なんだと思う。どこかひとつの場所に捉われてしまうと美しさは損なわれてしまう。自分の体もサッカーをすることも全体でひとつなのである。チームも同じだ。ひとつひとつの個性が調和した時、美しい表現が生まれるのである。

 

サッカーの本質を追求する旅はつづく…

 

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