たくさん学んだはずなのに自分は空っぽだった
他者を出し抜きたい。成功したい。成功して自慢したい。他人とは違う自分を誇りたい。そんなサッカーに明け暮れた10代、仕事や人生について悩んで走った20代を過ごした。一目置かれたい。かっこいい自分を見てもらいたい。そんな自分がどこかに必ず存在して、会社でもサッカーやフットサルでも粋がっていた。成功したい人が集まる自己啓発セミナーや異業種交流会にも参加し、ホリエモンのメルマガやトレンドの成功本は片っ端から読んだ。しかし、30歳を過ぎた自分を振り返り愕然とした。私は空っぽだった。
ある人間との出逢いが思考を解放するきっかけになった
仕事にも将来にも絶望している時にある人間との出逢いがあった。
その人は今年に入ってからツイッターで知った人物で、”物事の本質”を語るつぶやきに注目をしていた。その人が家の近所でイベントをやるということを知り、参加をすることに決めた。
自分を良く見せようとすることは弱いということ。これに気付けなかったら死んでいたかもしれない。
自分を良く見せようとすることは弱さであり、弱さを隠そうとするほどに、自分自身から遠く離れていく。自分自身が暴かれることの不安と恐怖を常に抱きながら、嘘で塗り固められた人間になる。自分以外の何者かになろうとすることは、短期的には効果的だとしても、長期的には致命傷になろう。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 6月 28
私が会ってきた人物とはこの人。坂爪圭吾さん。ものごとの本質を常に見つめ、思ったこと、感じたことを言葉に紡いでいく人。彼を知れたことで確実に自分の中の何かが弾けた。いままで自分がどれだけカッコ悪い立ち振る舞いをしてきたか、自分の本質と向き合うことができていなかったかが痛いほどよくわかった。
自分の外側に答えはない
自分を偽って他人から好かれようとする人。そんなやつカッコ悪いと自分で思っているのに自分が当てはまっていることに衝撃を受けた。これは自分の弱さを隠し続けてきた自分の大きな過ちであるということ。本当の自分を誰にも見せられない人間に魅力は微塵もない。そういうことに気がついた。
自分を変えるには自分の感じたことを発信するしかない
そう思った。自分の感じていることを誰かに発信するという行為は自分の中の形のない気持ちを言葉にするという創造的な行為だ。それは本当の自分を創造するということに他ならない。何にも捉われない自分だけが感じることのできる”なにか”を言葉にすることは自分を自由にしてくれる。そこには正解も不正解もない。
大人よりも捉われていない子供は時に大人を凌駕する
いまの子供は元気がないとか、いまの子供は自分のやりたいことがわからないとか、いまの子供は自分に自信がないとか、いまの子供は他人の目線を気にし過ぎているとか、いまの子供は失敗することを恐れて何も出来ないでいるとかいう発言を聞くと「それは大人も同じじゃん!」と思います。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 7月 1
大人というのは基本的に捉われまくっている。子供に何かを指導する立場の人の多くは特に捉われまくっていると思う。私自身もそうだった。いままで大人に管理されてきた方法をそのまま自分の教える子供たちにしてきたこともあった。失敗を恐れるな!自信をもて!という響きの良い言葉を子供たちに言う前に自分自身に言わなければならない局面がどれだけあることか。大人よりも優秀な子供たちを何人も見てきた。彼らは大人よりも自立し思考し自分自身を表現した。
大切なのは学びじゃない
この記事を読んでほしい。大人が決めつけた枠をぶち壊し、学ばずに創造し続けた。そして真理を見出した。
僕は以前、話すことができないと言われましたが、いまこうしてここで話しています。これを見て当時のセラピストは発狂していることでしょう。学ぶことを考えることや創造することへと変えることができたから、僕はここにいるのです。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…