大人になってから学ぶサッカーの本質とは

日本にいながら外国人リーグでプレーする私の目から見るサッカーの本質とは… 元サッカー選手、元サッカーコーチ、中南米放浪サッカー経験者として好き勝手語らせて頂きやす

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サッカーは”社会的に正しい人”よりも”人間的にあるがままな人”に微笑む

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サッカーは”社会的に正しい人”よりも”人間的にあるがままな人”に微笑む

サッカーがなぜこんなにも人々を熱狂させるのか、ひとつわかったことがある。サッカーは”正しい人間”よりも”ありのままの人間”に微笑むということだ。サッカーは頭が良い選手が揃っていれば勝てるわけではなく。猛烈に勉強ができなくても勝ってしまうことがあり、絶対的な正義感を持ってプレーしたところで勝てるゲームではない。より直感的に本能的に戦う先にはじめて勝つ為に思考するのがサッカーである。極端な例を言うと、徹底的に教育された人間よりも、自然界に放り出された一人の野生的な人間の方が魅力的に見えるのがサッカーだ。なぜなら”ありのまま”でいられるからだ。ありのままでいられるということは潜在能力を存分に発揮できるからだ。自分を開放することができることは最高なのだ。きっと多くの人はあるがままの自分でいたいと願っている、でも社会の仕組みがそうさせない。サッカーのピッチ上あるいは観ている時はありのままの自分を出せる瞬間がある。だからこそ皆サッカーに熱狂する。

 

戦うとはどういうことか、駆け引きとはどういうことか

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”痛がる”行為は絶対的にいかん!と言う人は非常に正しい。見ていて腹立たしい!汚い!そういう気持ちは良く分かる。私もロッペンの明からさまなダイブは嫌いだ。しかし、あのレベルの選手は激しいタックルから自分の命を守らなければならない。ネイマールも選手生命を壊されかけたことがあるが、圧倒的なテクニックが武器の選手は自分の身体を守る為の駆け引きとして時に”痛がり””転ぶ”ことは個人戦術として当然あるものだ。もちろん大袈裟すぎるのはよろしくないが、そういう駆け引きも戦いのひとつであるということを理解していない人は多い。サッカーとはそういう要素がふんだんに含まれているものである。

 

綺麗で正しく見えるところしか見せない大人

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最近、サッカーに”人としての正しさ”や”人としてあるべき姿”的なニュアンスを持ち込む人を見かけるが、私はメチャメチャ違和感を感じてしまう。世の中は美しいものや素晴らしいこと以上に汚いことだらけである。汚いものを綺麗に装飾することで健全に見せている。サッカーも美しさや素晴らしさだけじゃなく”汚さ”は絶対なくならない。なぜなら人間には”美しさ”も”汚さ”も介在しているからだ。

サッカーとは… 人生とは… なんなんだろうか… そういうことを一人の人間が孤独に、一切の先入観も捨てて考えることがとても大切なのだと私は思う。本質はどこにあるのか… いつも思考することが大事だ。

私は世の中の常識とかみんなの言っていることは大体信じていない。自分の目で見て感じたことを第一に発信していきたい。

 

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サッカーは”ありのままの人間”に微笑む。

事実サッカーの神様はマラドーナに微笑んでいる。

 

 

サッカーの本質を追求する旅はつづく…