大人になってから学ぶサッカーの本質とは

サッカーの本質を追求するWebマガジン 考えるよりも感じることを大切に 美しさとは何かを感じる心を大切に 大切なものを失わない為に書き綴る

安全で健全な環境下では一流のサッカー選手は育たない

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皮肉なことに一流のサッカー選手の多くは健全と呼ばれる環境からは生まれていないという事実はあるだろう。

 

www.goal.com

 

「子供のときは、一人で出かけるなんて絶対にしなかった。危なすぎるんだ。夜になるとひどかったよ。銃声は聞こえるし、人の叫び声なんかも聞こえる。銃撃戦になっているのが分かるんだ」

「そうなると、僕は家族と一緒に床に伏せるしかないね。そして翌日には、またサッカーの練習に出かけるんだ。朝、学校に行く途中で死体を見ることもちょくちょくあった」

「そういった人たちの生活はドラッグに満ちていたよ。ほかの人は盗みに走った。彼らはそういったカネをあぶく銭だと言っていたね」

「仲の良かった友達の一人は、途中で異なる道へ進んでいった。彼と会うことはもう不可能だ。5年前、彼は盗みをして警察に殺されてしまったよ」

 

創造性は不自由や理不尽の中で育まれる

 

日本では想像できない環境で育った男はサッカーの神様に救われた。

こういう経験が固定概念を破壊し多くの奇跡的なプレーを想像するのかもしれない。幼少期から自分で考え生き抜くための知恵を養い自立していたのだろう。

誰にも教わらずルールを破壊することを許容され、新しいプレーを創造できる自由を手にしていた。

 

それは皮肉なことに不自由や理不尽といった環境下で育まれていくものなのかもしれない。

 

社会が発展しリスクをなくし安全で健全な環境を作り、そんな環境下で人を育成することは強烈な個性を育みにくいのではないかと思う。

既存の仕組みやルールの中で健全に生きていくために教育されるということは時に個人の判断を奪い、創造性を育みにくい。

 

これはサッカーに限らないけれども、とりわけ一流のサッカー選手を思い浮かべると、多くの一流選手が不健全で危険な環境下で幼少期を過ごしている。

 

マラドーナジダンロナウド

 

彼らも決して恵まれていなかった。

 

news.livedoor.com

 

自身の少年時代について「本当にひどかったかどうかは分からない。だが、僕はじっとしていられなかった。学校では行儀が悪かったね。決して静かにすることはなかったよ」と明かした。

 

バルセロナで輝きを取り戻したスアレスも幼少期からルールを守れなかった。

ある意味既存の仕組みを壊せる?精神を持っていたんだろう。

 

彼のスパープレーを見てみよう


Luis Suárez | Goals, Skills, Assists, Passes, Tackles ...

 

既存の仕組みやルールを壊せる人。

それがマラドーナジダンロナウドだった。

 

もっと多様で価値観や生き方がぐちゃぐちゃに存在できるような

寛容な社会になると創造性が育まれるんじゃないかと個人的には思う。

 

サッカーを追求する旅はつづく…