大好きなサッカー漫画「さよなら私のクラマー」のワンシーンなのですが、この突出した才能が、環境のせいで死んでいくという言葉… 多くの人が共感できてしまうのではないだろうか。
日本のこれまでの教育(今も?)は、きわめて全体主義的で出る杭は打たれる傾向が往往にしてあったわけです。「あった」と過去形にするのは適切ではないのかもしれません。私は今でもジュニア年代のサッカー大会などにいくと才能を殺す大人を頻繁に目にします。
指導者のエゴで才能は死ぬ
ジュニア年代のサッカーの現場に行く度に、子供たちの意思決定の全てに関与する指導者を目にします。
「クリア!」
「パス出せ!」
「ドリブルしろ!」
「もっと開け!」
「シュート!」
指導者がウイニングイレブンでもやっているかのように子供たちを操作する。
これは単なる指導者のエゴです。
さて、ここで問題です。
サッカーが上手くなる子供は下記のどちらでしょうか?
①指導者の言うことをしっかりと聞き、実行できる子供
②指導者の言うことはあまり聞かないけど、自分で見て、考えて、判断し、実行する子供
本質を理解している人はわかると思いますが、3~4割近くは間違えると思います。
多くの人が本質を理解していないということです。
正解は言いませんが、②の子供は指導者の言うことが正しいか間違っているかを自分で考えることができるということです。
才能を殺す指導者
物事を嫌いにさせるコツ
— 坂内綾花(20歳起業家) (@FortuneFactory1) 2019年5月12日
・強制的にやらせる
・プレッシャーをかける
・優劣を競わせる ※劣った者には罰
・できなければ本人のせいにする
・やる意味を教えない(もしくは「あなたのため」だと言う)
・根性や覚悟を求める
「勉強」や「学校」が嫌いになるのも仕方がないかな、と思います。
心当たりありませんか?
私自身、学生時代にこういう先生やサッカーコーチを何人も見てきました。
現在でもこういう指導者たくさんいます。
こんな指導者が多くの才能を殺し、才能を潰す環境を作っていくのです。
以前、こんなことを書きました。
なぜ、このような状況になってしまうかと考えると、多くの大人が主体的に自分の人生を考えてこなかったからなのではないかと思うのです。
みんなと一緒にいれば安心。
みんなと違うことをすると、いじられる…という同調圧力が強い日本社会は極めて思考停止しやすいのではないかと思うのです。結果として今このような現状があるような気がします。
「怒られたくない」が努力する理由になっているのは子供ではなく大人だったという話
このような指導者を生み出したのが日本社会であるのなら、この地に生きる我々が変えていかなければならない。明るい未来のために。
子供たちの才能の芽が死んでいく様をこれ以上見たくない。
サッカー界には未だに才能を殺している自覚のない既得権が多い。しかし、おかしいことはおかしいと言い続けなければ、この状況は変わらない。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…